ビーだま・ビーすけの大冒険
2016/05/06

今や日本の子どもたちのスタンダードコンテンツになった「ピタゴラスイッチ」のピタゴラ装置。そのバリエーションの一つで「ビーだま・ビーすけの大冒険」というのがあると、妻と娘から教えてもらった。
私は若い頃、映像作品を作っていた時期があって、その頃は「映像ならではの表現」ってなんだろうか?なんて事をよく考えていた。絵画や写真や文学にはなく、映像にしかないものは「上映時間」だ、と。
例えば3分、例えば2時間、という予め用意した時間を観客に強いる事が映像作品の特徴なのだ、という風に考えていた。この点では、映像表現は録音された音楽などの音声コンテンツに親しいものだという風にも考えていた。
例えば3分、例えば2時間。この時間の始まりから終わりまで、観客の興味を持続させるためには何が必要なのだろうか?一般的には「物語」であるが、私が興味を持っていたのは「物語」が無くても一定の時間、観客を惹きつける方法ってあるのかな?ということだった。
料理番組やNHKの工作の番組みたいな、何かができるまでを見守る「制作過程」を見せるのも一つの方法だ。「完成」というフィニッシュもあるし。
サッカーや相撲や将棋のように、勝負の行方を見守るの「観戦」というのも一つの方法だ。「勝敗」という結末もある。
このように、劇映画のような物語に頼らずに、観客の興味を持続させることができるものって何があるのだろう、と、テレビをつけっ放しにしながらよく考えていた。
そんな時に「ピタゴラ装置」を初めて見て、うわこれヤバイ!!と驚いたのをよく覚えている。
ドミノ倒しのような物理的な作用の連続だけでこれだけ緊張感とワクワク感をキープさせる映像コンテンツがあるなんて!しかもちゃんと始まりと終わりがある!と。
こいつは何時の時代のどの国のどの世代の人が観ても同じように面白くて気持ちいいと感じるであろう普遍的な映像作品だと思った。
「物語」と言うのは、観衆の価値観や文化的な背景や文脈を利用して作られるものだが、このピタゴラ装置は、そういうものを一切必要としないのだ。
そんな思い入れのあるピタゴラ装置の映像に、ストーリーが付いた「ビーだま・ビーすけの大冒険」。ビー玉は擬人化され、装置群は「悪の要塞」のように描かれている。
ヘイヘイ、大丈夫か?本末転倒じゃないのか?
と、思った私が間違っていた。素晴らしい出来上がりである。
始まりのタイトルバックも軽快なコンガのビートに乗せて、1970年代のブラックスプロイテーション映画風なスリリングな滑り出しでかなり格好いい。
改めて、佐藤雅彦のデザイン感覚・編集感覚の天才っぷりに平服した(土下座)。
【参考】1970年代のブラックスプロイテーション映画のオープニング