アンディ・ウォーホルの自由研究(1.ブロッテド・ラインとお母さんで量産システム)

2020/02/21
前回からの続きです。前回の記事は→こちら今回のテーマ「元々どんな技術を持っていたのか?」〜芸術を才能とかセンスで片付けないために〜







1950年代、アンディ・ウォーホルはまだ芸術家ではなく「商業イラストレーター」であった。

当時、日本やアジア諸国は言わずもがなだが、ヨーロッパ諸国も第二次世界大戦で自国が戦場になったため、ヘトヘトのボロボロの状況。

一方、アメリカ合衆国はハワイや西海岸の除く本土の多くは戦場にならなかったから全然元気。戦勝国だし体力もあるしまだまだ行けるぜ的な勢いだったようで、戦後は一気に世界の中心に躍り出る。

今でも1950年代のアメリカの事を「古き良きアメリか」とか言ったりする。
金持ちも貧乏人もみんなコカコーラ飲む、みたいな時代。
食品とか家電とか自動車とか、そういう商品が工場で大量に製造されて、消費される時代だ。一般家庭にも一気にテレビが普及して、国民の生活水準が上がっていったイケイケな時代だ。



そんなイケイケな50年代に、新しいジャンルの職業が生まれる。そのひとつが「広告の仕事」だ。

商品が大量に作られ、それらを買う国民も豊かになってきた。となると、商品と消費者を繋ぐメディアと広告のニーズが高まってくる。

そんな状況で、アンディ・ウォーホルは、商業イラストレーターの仕事で生計を立て、やがて売れっ子になる。
少なくないお金も稼ぐようになった。業界内で権威ある賞も受賞している。
つまり、彼は「アート」をやる前から、すでに商業イラストやデザインの分野での成功者だったのだ。 
では、彼はどのようにしてイラストレーターとして成功したのか?



話が少し逸れちゃいますが、広告デザインの仕事についてなんですけど、私もその世界の端っこで食いつないでいるのでどういう仕事なのかは知っています。
今はパソコンやインターネットがあるので、当然50年代のアメリカとは状況が違います。しかし本質的に変わらない事があります。それはクライアントとの関係です。
ある商品を売りたいクライアントが、デザイナーに広告のデザインを注文するという形は今も昔も基本的には変わらないわけです。客商売です。
デザイナーやイラストレーターは、クライアントの要望に適った広告を作る。それが仕事。
今の時代はパソコンがあるから、当時とは比べものにならないほど制作作業が楽になったと思うけど、当時はパソコンも無いわけだから、いちいち手作業だったと思うと、気が遠くなる。

イラストやデザインはいくつもパターンを作って提案し、なかなか終わらないダメ出しや修正指示への対応、そんな作業が増えてゆく中でスケジュールは厳守、といった面倒とストレスが常にある仕事。

そんな仕事なので、クオリティはもちろん重要だが、生産効率が悪いと案件の数もこなせないし稼げないし、クライアントを待たせてしまうので満足度も低くなる。イラストや広告デザインの制作の現場においても、なかなか無視できないのがこの
「生産効率」だ。
話は戻りますが、そんな時代、アンディ・ウォーホルはいかにして商業イラストで成功を収めたのか?
センスか才能か、彼にそういうのがあったかどうかはわからないが、少なくとも当時のクライアントを満足させるイラストを描く技術は持っていたし、高く評価されていた。

彼のイラストの線には、独特なにじみや風合いがあった。他にはない独自のテイストと手作業っぽい一点モノ感があり好評だったようだ。こういう感じ↓

AndyWarholeshoedrawing.png


この独特の線は「ブロッテド・ライン (blotted line)」と呼ばれている。「染み付きの線」という意味だそうだ。
この線が、彼にとっては非常に大きな発明だった。

「一点モノ感がある独自の風合い」を獲得するとともに「生産効率」も向上したのだ。なぜか?
いわばこの技法は、彼が自身で開発した「コピペ技術」なのだ。


▼詳しくはこの動画を見て。

  
 

アメリカで"元祖"事務用コピー機「ゼロックス」が登場したのが1959年。まだ一般にはコピー機がない時代。
ウォーホルはこの「ブロッテド・ライン」という技術を使って、どんなクライアントの要望にもスピーディーに対応していったという。

さらに面白いのが、ウォーホルの母ジュリアの存在だ。

 
 

 彼はこのニューヨークのデザイナー時代、ピッツバーグの田舎の母親をニューヨークに呼び寄せて同居を始めるのだが、このお母さんが手先の器用な人だったようで、特にレタリングが上手くて、ウォーホルの作品の文字のレタリングを担当していた。 

 つまり、1950年にも関わらず、ウォーホルは独自の「コピペ量産システム」と「フォントライブラリー」を自前で持っていたようなもんで、個人でイラストやデザインの量産体制を構築していたのだ。

このスタイル、この考え方と技術が「アンディ・ウォーホル」の根っこなのだと思う。

次回は、いよいよアート界への進出について書きます。 

なぜ彼は、イラストレーターから芸術家になれたのか?

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