アンディ・ウォーホルの自由研究(2.商業イラストでは褒められて、アートでは駄目な理由)
2020/03/10
ウォーホル
商業イラストで大成功し、有名人となったウォーホルは、1950年代後半からギャラリーで個展を開くようになる。商業イラストの受託と並行してファインアートの世界に足を踏み入れて行くのだった。
(なぜ商業イラストレーターのままではなく、アートの作家になろうと思ったかはわからない。)
最初は、生業としていたイラスト作品の延長線のようなイラスト作品を展示していたようだが、あまり評判は上がらず燻っていたようだ。

[Andy Warhol / Boy with Flowers (1955 - 1957)]
広告の仕事では評価され、権威のある賞を貰えたのに(実際にウォーホルは1952年にADC賞を受賞している)、アートの世界では評価されない。
同じ絵を発表しても、なぜファインアートとして発表すると評判がイマイチなのか?
この問いこそが、「アートとはなにか?」という謎の核心を突く。
Q.商業イラスト(広告)とアートでは何が違うのか
A1. 評価のルールが違う
A2. 評価する人が違う
なるほど、こうなってくると当然ながら「じゃあどんなルールなんだよ」、「誰を喜ばせればいいんだよ」となる。
イラストレーターであったウォーホルの作品が「アート」として評価を得るためには、アートのフィールドにおけるマーケティング戦略を展開する必要があったのだ。
飾らないありのままの自分、それがアートだ。
っていう事では決してない。
厳然たる事実として、評価する者が存在し、価値を定めている。それがアートであれ商業イラストであれ、骨董品やアニメやコスプレであれ、それぞれのジャンルは愛好家や批評家やファンがいることで成り立っており、彼等が作品の価値を決めている。
彼等を喜ばせる事が、そのマーケットで成功する条件なのだ。おそらく例外はない。
要するに、「アート」というのは、マニアックなオタクマーケットの1ジャンルに過ぎないわけで、逆を言えば、愛好家やコレクターやオタクが一定量存在するジャンルは、マーケットのサイズの差こそあれど、みな等しく価値がある、等価な文化圏と言えるのではないだろうか?
例えば仮に、「アート」というジャンルが、今でもある種の権威を持ち続けられているのだとしたら、その独自の文脈を途切れさせずに継承してきた歴史の長さが、その権威性を担保しているのだと思う。
アートに代表される、いわゆる「ハイカルチャー」というのは、長い歴史の中で数々のプレイヤーが絶えずその文化を更新し続けてきた結果として、とんでもなく分厚い更新ログを持っている。
それがハイカルチャーなのかサブカルチャーなのかという分類の目安となるのは、言わば、そのジャンルが昔からあるかどうか、というくらいの違いなのだ。と、思う。
話をウォーホルに戻すと、
これまでのようなイラストじゃダメなんだと苦渋を舐めたウォーホルは、アメリカではポピュラーなコミックスの主人公、ディック・トレイシーの絵を描いた。

[Andy Warhol / Dick Tracy, 1960]
西洋絵画の歴史上、「肖像画」というのはひとつのスタイルとして確立していたので、その時代(1950〜1960年代のアメリカ)を表わす肖像画のモチーフとして、誰でも知っている漫画の主人公を描くというコンセプトは、いかにも現代アート的な文脈に倣ったアプローチだ。
しかし、ここでアクシデントが発生した。
他の作家とぱっと見の作風が被ってしまったのだ。
ロイ・リキテンスタインだ。

[Roy Lichtenstein / Look Mickey, 1961]
この時期のアメリカの都市部では、アートギャラリーもコレクターもどんどん増えてきた頃で、その界隈で、レオ・キャステリというアートディーラー(画商)がいて、若い作家を発掘・プロデュースしては売り出していた。
彼のギャラリーて取り扱ってもらう事が登竜門というか、作家としてのステータスになる、といった状況だったようだ。
いつの時代も、そういうプロデューサーや仕掛け人が居て、トレンドやムーブメントを牽引する。
キャステリは、ウォーホルと会う前に、すでにリキテンスタインと出会っており、彼の作品を自身のギャラリー扱う事を予定していた。

(手前がキャステリ、後がリキテンスタイン。)
もちろん、ウォーホルもキャステリにアプローチする。しかし、リキテンスタインの作風に似てしまったウォーホルの作品は、二番煎じ的に見えたのだろう。キャステリはウォーホルをスルーした。
本質的には両者の作品のコンセプトは全然違うものなのだが、キャステリにはよく分からなかったようだ。
後年、キャステリはインタビューで「いやー、とんでもない間違いだった。あの時はウォーホルの価値を見抜けなかったわ。」的なコメントを残している。
ともあれ、リキテンスタインと被ったと見なされたわけで、ここでまたしてもウォーホルは、ぐぬぬ、と、苦渋を舐める。
続く。
(なぜ商業イラストレーターのままではなく、アートの作家になろうと思ったかはわからない。)
最初は、生業としていたイラスト作品の延長線のようなイラスト作品を展示していたようだが、あまり評判は上がらず燻っていたようだ。

[Andy Warhol / Boy with Flowers (1955 - 1957)]
広告の仕事では評価され、権威のある賞を貰えたのに(実際にウォーホルは1952年にADC賞を受賞している)、アートの世界では評価されない。
同じ絵を発表しても、なぜファインアートとして発表すると評判がイマイチなのか?
この問いこそが、「アートとはなにか?」という謎の核心を突く。
Q.商業イラスト(広告)とアートでは何が違うのか
A1. 評価のルールが違う
A2. 評価する人が違う
なるほど、こうなってくると当然ながら「じゃあどんなルールなんだよ」、「誰を喜ばせればいいんだよ」となる。
イラストレーターであったウォーホルの作品が「アート」として評価を得るためには、アートのフィールドにおけるマーケティング戦略を展開する必要があったのだ。
飾らないありのままの自分、それがアートだ。
っていう事では決してない。
厳然たる事実として、評価する者が存在し、価値を定めている。それがアートであれ商業イラストであれ、骨董品やアニメやコスプレであれ、それぞれのジャンルは愛好家や批評家やファンがいることで成り立っており、彼等が作品の価値を決めている。
彼等を喜ばせる事が、そのマーケットで成功する条件なのだ。おそらく例外はない。
要するに、「アート」というのは、マニアックなオタクマーケットの1ジャンルに過ぎないわけで、逆を言えば、愛好家やコレクターやオタクが一定量存在するジャンルは、マーケットのサイズの差こそあれど、みな等しく価値がある、等価な文化圏と言えるのではないだろうか?
例えば仮に、「アート」というジャンルが、今でもある種の権威を持ち続けられているのだとしたら、その独自の文脈を途切れさせずに継承してきた歴史の長さが、その権威性を担保しているのだと思う。
アートに代表される、いわゆる「ハイカルチャー」というのは、長い歴史の中で数々のプレイヤーが絶えずその文化を更新し続けてきた結果として、とんでもなく分厚い更新ログを持っている。
それがハイカルチャーなのかサブカルチャーなのかという分類の目安となるのは、言わば、そのジャンルが昔からあるかどうか、というくらいの違いなのだ。と、思う。
話をウォーホルに戻すと、
これまでのようなイラストじゃダメなんだと苦渋を舐めたウォーホルは、アメリカではポピュラーなコミックスの主人公、ディック・トレイシーの絵を描いた。

[Andy Warhol / Dick Tracy, 1960]
西洋絵画の歴史上、「肖像画」というのはひとつのスタイルとして確立していたので、その時代(1950〜1960年代のアメリカ)を表わす肖像画のモチーフとして、誰でも知っている漫画の主人公を描くというコンセプトは、いかにも現代アート的な文脈に倣ったアプローチだ。
しかし、ここでアクシデントが発生した。
他の作家とぱっと見の作風が被ってしまったのだ。
ロイ・リキテンスタインだ。

[Roy Lichtenstein / Look Mickey, 1961]
この時期のアメリカの都市部では、アートギャラリーもコレクターもどんどん増えてきた頃で、その界隈で、レオ・キャステリというアートディーラー(画商)がいて、若い作家を発掘・プロデュースしては売り出していた。
彼のギャラリーて取り扱ってもらう事が登竜門というか、作家としてのステータスになる、といった状況だったようだ。
いつの時代も、そういうプロデューサーや仕掛け人が居て、トレンドやムーブメントを牽引する。
キャステリは、ウォーホルと会う前に、すでにリキテンスタインと出会っており、彼の作品を自身のギャラリー扱う事を予定していた。

(手前がキャステリ、後がリキテンスタイン。)
もちろん、ウォーホルもキャステリにアプローチする。しかし、リキテンスタインの作風に似てしまったウォーホルの作品は、二番煎じ的に見えたのだろう。キャステリはウォーホルをスルーした。
本質的には両者の作品のコンセプトは全然違うものなのだが、キャステリにはよく分からなかったようだ。
後年、キャステリはインタビューで「いやー、とんでもない間違いだった。あの時はウォーホルの価値を見抜けなかったわ。」的なコメントを残している。
ともあれ、リキテンスタインと被ったと見なされたわけで、ここでまたしてもウォーホルは、ぐぬぬ、と、苦渋を舐める。
続く。