失われた何かを埋めるノイズ
お久しぶりです。また更新し始めたようで嬉しいです。
最近のおすすめです。
コロナ禍だからなのか、ストリートで演奏される音楽に惹かれるようになっています。
リモート画面分割セッションはもう十分だなあといった感じ。
森山直太朗さんのにっぽん百歌もFIRST TAKEへのアンサーな感じがして好きです。
お久しぶりです。また更新し始めたようで嬉しいです。
最近のおすすめです。
コロナ禍だからなのか、ストリートで演奏される音楽に惹かれるようになっています。
リモート画面分割セッションはもう十分だなあといった感じ。
森山直太朗さんのにっぽん百歌もFIRST TAKEへのアンサーな感じがして好きです。
ハラダ
さっそく記事にしてくださり、ありがとうございます。
「ノイズ」という言葉がすごくしっくりときました。
それとは少しズレますが、昔から「雨に唄えば」という映画が好きでした。
ストーリーや演出がというより、圧倒的な身体パフォーマンスからなるダンスシーンが凄すぎて、今見ても「すげえ!」と興奮します。
例えばですが、
https://www.youtube.com/watch?v=XyIDxpUJ10Q
https://www.youtube.com/watch?v=qzc7vY9VTnk
2つともダンスシーンが素晴らしく、圧倒的な身体能力を持つ方々が、かなりの稽古を重ねた上で撮影しているのだと思います。
ですが、美しい画作りのグレイテストショーマンより、粗さの残るHellzapoppin’の方が圧倒的に興奮するんですよね。
これも「ノイズ」を求めるのと近い感覚があるように感じました。
こういった昔のヤバいダンスシーンみたいなものが、現代の大作映画の中にもあればいいのにと、ずっと思ってます。
僕が知らないだけであったりするんでしょうか?
ハラダさん
コメントありがとうございます。
圧倒的な身体表現って、いわば、スピードと手数の「情報量」に比例するところが大きいような気がしてて、例えば大人数が一斉に踊るとか、マスゲームのように動くとか、そういうのに圧倒される生理ってあると思うんです。
でも、その統制されてデザインされた動きからあふれるように発生したズレが、例えばラップや歌唱における「フロウ」のようなもので、いわばそれがノイズだと思うんですが、そのノイズの含有量が「凄み」になるんじゃないかと思うんですよね。
例えば、私はこの映画がスゴイと思う↓
https://www.youtube.com/watch?v=RFsvdxn08wQ
ハラダ
統制されてデザインされた動きの方が凄いはずなのに、ズレが含まれる方が凄みを感じてしまう矛盾って一体なんなのでしょうか?限界超えちゃってる感?マシンではない人間味?もしくは、動きが完全に統制されると、バラつきがあるものより「情報量」が少なく見えてしまうということでしょうか?
ジャッキーチェンはどの作品も人間味があって良いですよね。ベースがコメディだからこその誇張したアクションやバカバカしい展開が、プロレス的な面白さがあって好きです。
イーゴン
ハラダさん
面白いテーマかもしれないですね。
なんか凄い身体表現だけ集めてみようか。ユーチューブの再生リストに貯めて、勝手に講評とかしたい。
別途コーナーを企画したいと思います。