愛とか恋とか、しなくていいから

2021/07/11


この動画の人は、ジュディス・バトラーっていうアメリカの哲学者です。
ジェンダーとセクシュアリティー研究の専門家です。

女性や男性といった性別は、社会的な要請によって後天的に決められしまう、という説を唱えているようですね。生まれた瞬間にこの人生で演じなければいけない役を与えられる、というニュアンスででしょうか。

生まれたばかりの赤ちゃんは、最初は男性でも女性でもない、という事。
100年くらい前のフランスの哲学者ボーヴォワール(フェミニズム運動の草分け)も「人は女に生まれるのではない、女になるのだ」という事を言っているけど、このバトラーのそれとどう違うのかはまだ理解できていないです。

バトラーは「性別なんてものは、そもそもありはしない」という大胆な事を言ってるんだと思う。

その説を、本気でそうなのだ、と想像してみた。そうすると、不思議なことに結構飲みこめてしまう。

例えば、人間は生まれてすぐにクラウドに接続され、VR空間にサインインして人生が始まる、というような世界であるとする。その場合、全員最初は棒人間で成長に伴って個性を表現するアバターやアイテムを身に着けてゆく。
最初のほうは、誰が誰だか見分けがつかない。ざっくり「子供」だ。しかし、思春期に近づくにつれて個性を表現するようになるわけだ。

こう考えると、この思想はジェンダーに限らず、人種や、身体的な特徴や、カーストや、親の職業や信仰する宗教など、あらゆる先天的な条件がもたらす「自分ではどうしようもなさ」や「謎の負い目」を解除できる。


さて、
「マイノリティ」というものは、誰によってどう定義されるか?
「マジョリティ」によって定義されているはずだ。

では、マジョリティを定義しているのは誰だ?という疑問がわいてくる。
それは、「私たちは普通ですから」と自認している人々だと思う。

マイノリティとは、ある環境におけるマジョリティを自認している人々から疎外されている人々、ということになるんじゃないかな?



私がジェンダーのバリエーションの多様さに触れたのは18歳の頃。1997年頃。
建築関係の雑誌で「A」っていうのがあって、その雑誌の中の特集記事かなんかで、トランスジェンダーについて書かれた記事があった。

白いタンクトップとジーンズ姿のドレッドヘアの黒人男性の写真が掲載されていて、
「彼の体は男性だが、性自認は女性。しかし恋愛対象は女性なのでレズビアンだ。」というキャプションが書かれていた。
そして、その人の恋人の紹介記事には、「彼女の風貌は女性に見えるが、性転換手術とホルモン注射によるものだ。」とあった。
え?なに?どういうこと?
混乱した。何がどうなっているのかわからない。

この記事は、私にとって結構衝撃が大きかった。

こうなると、生物学的な雄雌、性自認、性的指向やその有無。これらの組み合わせのバリエーションは大変なことになる。
こういうバリエーションのなかで、一体自分はどういう位置づけにあるかなんてことも考えさせられたし、それまで考えもしなかったから驚いたわけです。

このような価値観や事実を知ってしまうと、人間を「男か女か」という、たった2種類の分別で済ませていいわけがない。
生物学的にオスとメスに分けられるヒヨコの出荷じゃねえんだから。と思うようになった。

自由に自分を生き、好きな人を愛し、勝手に生きればいい。

しかしながら、こういうジェンダーの話で、いつも引っかかっていることがあります。
「人間は恋愛やセックスをするものだ」という前提で話されている気がします。私は、「そうでもなくね?」と、思いますし、そもそも他人の性的指向や性癖になんて興味がないし、勝手にしろ、って思います。どういう組み合わせで結ばれようが別にいい。別に当人同士の事なんだからプライベートを隠す必要もないが、さらす必要もない。
っていうか、恋愛とかセックスも、したきゃすればいいだけだし、したくない奴だってそりゃ当然いるでしょうに、と思うのです。恋人を作って処女童貞を捨てなきゃならん。運命の相手と結婚しなきゃならん。というプレッシャーを感じたことってなかったですか?
恋愛をするように社会から仕向けられ、恋のために要りもしない物を買わされ、そこまで好きでもない相手に金を使う。
そんな時代が日本には確実にあったと思っていますけどね。恋愛マーケットというのが発明されて、そのプロパガンダでシンデレラ・エキスプレスや東京ラブストーリーやユーミンやドリカムがあったと。

「恋愛は素晴らしい」という幻想と「そんなんじゃモテないぞ!」という呪いで、男と女がくっついたり離れたりして経済をぐるぐる回す。

つまり、「男として、女として、我々は恋愛をしないといけない。」という価値観がマーケットの要請によって植え付けられたものだったとしたらどうだろう。
私たちは、そのゲームの役割を演じ、男として、女として、それぞれ経験値を稼ぎ、レベルを上げ、ステータスを上げ、アイテムを買い、ゲームのクリアをひたすら目指すわけだ。クリアなんてないのに。

仮説だけど、日本のバブル期ってこういう状態で、このゲームに興じてた世代がいま50代~60くらいかな。
今現在の日本の「男らしさ」や「女らしさ」って、この世代が持ってる価値観の影響が強い気がする。
その下の世代は、オタクとかだし、ラブストーリーの時代は終わってるから。比較的フェミニンだとは思う。


全ての厄介の元である、「男とは、女とは、こうあらねばならない」という固定概念は、「愛とか恋とか、別になくていい」という価値の共感によってこそ破壊されるんじゃないかと思うんですよね。



話題が蛇行してしまってすみません。

マイノリティとかLGBTQのことに気を取られている間にも、日本では依然として女性への差別や暴力や搾取のシステムが機能し続けているわけです。誰が搾取しているかというと、当然男性です。差別するのも男性、暴力的に支配しようとするのも男性です。

私も男性ですから、当事者として、毎日の暮らしの中で、妻や娘や親、友人や同僚ともできるだけ話す機会を増やしていきたいと思います。

コメントをどうぞ。 現在2件

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イーゴン

イーゴン

ハラダさん
コメントありがとうございます。
なかなか興味深いお考えですね。差別は結局なくならなくね?
「鼻ほじ達人」に対して、何かできないかと考えています。
返事はまた記事で書きますので、ご猶予をいただけますと幸いです。

2021/07/14 (Wed) 07:51

ハラダ

性別が後天的なものという解釈は面白いですね。差別に関してのコメントを書こうと思ったらめちゃくちゃ長文になってしまったのでnoteに書きました。https://note.com/haradatakeaki/n/n0fb953ff807e
変なペンネームですがハラダです。

2021/07/13 (Tue) 12:35