今週のおさらい(7/5~7/11)
2021/07/11
週報です。7/5~7/11の間の事を書きますよ。
ギリギリです。ギリギリ毎日更新を維持しています。
今週書いた記事はこれ
とにかくね、「ゆる言語学ラジオ」が面白い。出会えてよかった。
私は言語というものについて理解が浅いので、このコンテンツは未知なる価値観の森に分け入ってゆくような興奮があります。知的好奇心というのがまだ自分にはあった、という事もとても嬉しい。
いま「言語」というものについて話を聞いてくれる相手がもし隣にいたなら、朝がくるまで話は尽きないだろうと思います。
去年の今頃の話だが、ふと「コミュニケーション」とは一体何なのか?と思い立ち、ウィキペディアで「コミュニケーション」を調べてみたら、こんな風に定義されていた。
人間は記号によって動く。そして人間は、記号を用いて共感しあうことができる。
その共感の過程をコミュニケーションと呼び、共感が積み重なる事で人間関係は深くなる。
お互いに記号を交換せずに成立する人間関係というのは、ほとんど想定できない。
何度も往復する手紙、繰り返されるデート、おしゃべり、会議など、恋愛関係であれ、友人関係であれ、取引関係であれ、およそ人間関係というのは記号、言葉の交換を通じて成立しており、「ことばをかける」ということは人間関係の基本的な条件である。
と、このようなニュアンスで書かれてあった。
なんとなくわかる。
このあたりで「記号」ってなんだよ、という疑問が湧き、またWikipediaで調べた。
記号(きごう、英語: Sign)とは、情報伝達や思考・感情・芸術などの精神行為の働きを助ける媒体のことである。
狭義には、文字やマーク、絵など、意味を付された図形を指すが、広義には表現物、ファッションや様々な行為(およびその結果など)までをも含む。
記号それ自体は、紙の上のインクや造形された物体、空気の振動などでしかないが、人間がこれらを何らかの意味と結び付けることにより、記号として成立する。そして記号は、他の記号と共にまとまった集合体となったり、あるいは相互に作用し合ったりして、何かを指し示す。
なるほどね。
ということは、
「友情」を作るには、コミュニケーションによる「共感の積み重ね」が必要。
つまり、記号のやり取りによる共感の積み重ねによって「友情」は作る事ができる。
という事のようだ。
なにを言いたいかというと、
言語というものが、記号のバリエーションだとするならば、
それを深く知り、扱う事ができれば「友情」が作れるという事なんじゃないかと思ったわけです。
そうです。
イーゴン自治区は、皆さんとの間に、友情を作ろうとしています。
長くなってしまったので、終わります。
今週もよい一週間をお過ごしください。
あと、コメントをくれ。