はちどりと僕のコリコリなんこつ
2022/05/16
様々なサブスクコンテンツのサービスを利用している。アマゾンプライムとかSpotifyとか、ネットフリックスとか。
いままでの利用履歴や各コンテンツに対する俺の反応を逐一データベースに記録し、「次はこれを観たらいいんじゃない?」「こういう曲もスキかもよ」などと、連中はレコメンドしてくるわけだ。
いままでの利用履歴や各コンテンツに対する俺の反応を逐一データベースに記録し、「次はこれを観たらいいんじゃない?」「こういう曲もスキかもよ」などと、連中はレコメンドしてくるわけだ。
そのおかげで、新しい物との出会いもあるので、まあ、なかなか良いっちゃ良い。ありがとう。
便利だ。とても便利。
新着コンテンツのお知らせ、と、俺へのレコメンド。
しかし、これに依存してしまっていてはいけない。なぜなら、それ以外にも良いコンテンツが存在するからだ。
掘ることを怠ってはいけない。「掘る」という主体性を奪われてはいけないぞ、人間よ。
アマゾンプライムビデオで、「新着」にも「あなたへのレコメンド」にも表示されなかったが、友人から「アマプラにあるよ」と教えてもらって観た映画がある。
映画「プロミシング・ヤング・ウーマン」と「はちどり」だ。アマゾンプライムビデオにあった。
以前から見ようと思ってたので良かった。
内容も素晴らしかった。これを読んでいるあなた、まだ観てなければぜひ観てほしいと思う。
まあ、作品の感想は別の機会に書くことにするので、なんのおすすめにもなっていないが。
「はちどり」は、1994年を舞台にした中2の女の子の日々を描いた作品だったのだが、これを観て、ああ、このころ自分も中学生だったかもな、と、あの頃の事を色々思い出してしまった。
40を超えた人間が10代の頃のことを思い出す。これはきっとろくなことにならない。
でも、書く。
でも、書く。
中学1年の12月、私は大学病院に入院していた。形成外科で手術をするためだった。
「鳩胸」といって、胸の中央が盛り上がってくる病気だ。
中学校に入る頃から毎日少しずつ鳩尾(みぞおち)のあたりが固く出っ張ってきて、その塊が日に日に大きく隆起してくる。
中学生というのは自分の体の変化に敏感だ。
男子と女子で差はあれど、体のあちこちでいろんなことが起こる。
夏、薄着になる時期。Tシャツ1枚で過ごす私の胸の形は明らかに出っ張っていた。
出っ張っているだけで、体調に不具合は無い。
しかし、私は思春期である、この体は恥ずかしい。何とかみぞおちの出っ張りを目立たなくしたい。
そうだ、みぞおちの周りも盛り上がらせて、高低差を無くすことで、胸を「フラット」にしよう。
という理由で、とにかく胸筋を鍛え始めた。このころ、腕立て伏せを何百回やったかわからない。
しかしそんなに簡単にマッスルボディは手に入らなかった。どうすればいいのか。
そのころ、同じクラスに異常にマッチョな同級生がいた。H君だ。
H君は中学1年生にしてはどうかと思うほど首が太く、太ももは競輪選手のようだった。
H君は中学1年生にしてはどうかと思うほど首が太く、太ももは競輪選手のようだった。
私は彼に教えを乞うた。どうしたらそんなに筋肉が付くのか?
「じいちゃんが飲めって。プロテインっていうの。これ飲むと筋肉つくって。」
話を聞くと、彼は小学生の頃から、祖父にプロテインを飲まされていたようだ。
これは一体どういう背景があって、当時どういう状況だったのだろうか。今となってはわからない。
「え!そんなのあるの?すごいね!」
プロテイン。
私は、とんでもない秘密を聞いてしまったような気がした。
飲むと無条件に女の子にモテる薬だとか、着ている服が透けて見えるメガネだとか、自分以外の人々の時間が1分だけ止まるストップウォッチだとか、まあ、そういう類の秘密の道具が身近に存在するのだという事にショックを受けた。
そのプロテインとやら。どうすれば手に入るのだろうか。
当時の私にとって、「プロテイン」というキーワードは特別な言葉だった。とてもヤバい言葉。「プルトニウム」とか「コカイン」とかと同じくらいヤバいのニュアンスを孕んで、それは輝いていた。
当時の中学生にはインターネットもスマートフォンも無い。
友だちの「絆」だけが、有益な情報ネットワークの礎である。
「ほら!ここ、ここに書いてある!」
友だちのT君だ。当時の私たちは親友だ。
私はT君にだけは何でも話せた。我々の間に秘密などなかった。
「ほら、ここに"プロテイン"って書いてあるよ。」
T君が見せてくれたのは、カロリーメイトの箱だった。
箱の裏の「原材料」のとこ。細かい文字で聞いたことのない成分や物質の名前が書いてあった。その中に確かにあった「プロテイン」という記載が。
「うわホントだ!スゲえ!」
「これさえあれば!ね!」
「ね!」
そうこうしていると、ある晩、金曜ロードショーで「エイリアン」を観た。
エイリアンが人間の腹を突き破って産まれるシーンを観て、震えた。
母に、病院へ連れていってもらう事にした。
夏が過ぎ、カロリーメイトと腕立て伏せの効果もさっぱり出ず、私はコツコツと通院を重ね、レントゲンやCTスキャンを撮り、クリニックからの紹介たどって、地元の大学病院の「形成外科」にたどり着いた。
「整形外科」ではなく「形成外科」である。
言葉を選ばずにざっくり表現すると、先天的な奇形を直すセクションだ。
そこの先生は「手術すれば平らにできるよ。」と言った。
「じゃあ、すぐお願いします。」と私はその場で即答した。母親はとても心配をしていたが関係ない。
中学男子にとっては一刻も早く「モテ」を阻害する要因は除去したかったのである。
その冬、私は形成外科の小児病棟に入院することになった。
そこには様々な子供がいた。
いわゆる「先天的な奇形」を、いわば「まっとうな形」に直すためにそこに入院していた。
同世代の子供たちがたくさん入院していた。
指の関節が全部逆になっている女の子から手渡しで缶ジュースをもらった。ファンタオレンジだった。
顔の真ん中が縦に割れている男の子から、読み終わった少年ジャンプをもらった。
2歳くらいだと思っていたとなりのベッドの子は、10歳になる男の子だった。生まれつき体中の骨がガラスのように脆く、金属のワイヤーで補強している。定期的にそれを取り換える手術をするために、この時入院していた。
12月、クリスマスを病棟で過ごす我々は、なにかちょっとでもクリスマス感を味わおうという事になり、看護師さんにお願いしてピザのデリバリーをお願いすることにした。
病棟の中までピザを運んできたお兄さんは子供たちを見て、腰を抜かすほどびびっていた。
年末に手術をした。全身麻酔だった。
目を覚ますと、体のあちこちからチューブが飛び出ていて、縫い合わせられた胸には真一文字にガムテープのような絆創膏がべったりと貼られていた。梱包されたダンボ―ルみたいだった。
「鳩胸」の手術というのは、みぞおちあたりのでっぱりを切り取る手術だ。
気になるのは、その「でっぱり」とは一体なにか、である。
あらかじめ、手術の直前に、研修医のお兄さんに聞いてみた。これは何を切除する手術なのか、と。
「焼き鳥でいうあのコリコリしたやつ。"なんこつ"だね。」
お前、焼き鳥で言うなよな、とは思ったものの、よくわかった。
なるほど、お前は「コリコリなんこつ」なのか。と、少し胸をさすった。
手術のあとは、何日も動けなかった。痛くて苦しかった。
その間、病棟の子たちはどんどん入れ替わっていった。みんな無事だといいなと思った。
胸には大きな傷跡が残った。大きな「へ」の字だ。
両乳首を目だとすると、この「への字」の傷が「への字口」に見える。
オバケのQ太郎の弟のO次郎(おーじろう)が不機嫌な時の顔に似ていた。
O次郎は言葉がしゃべれず、いつも「バケラッタ!」というフレーズを発する。
私は当時、自分の胸の傷が開き「バケラッタ!」と叫ぶ悪夢を何度か見た。
お正月が終わり、学校の冬休みが終わるころに退院することになった。
病室で退院の支度をしているとき、研修医のお兄さんが私に尋ねた。
「手術で取ったナンコツ、いる?」
「え、まだあるんですか?」と、私。
「要りません、要りません」と、母。
「いや、くださいください。」と私。
「要らないです!要らないです!」と母。
薄紫色のホルマリン液で満たされた「ネスカフェ」の瓶の中で8本のナンコツがふわふわと浮いていた。
私はこの瓶を小脇に抱えて、病院を後にした。
退院後、いつの間にかこの「ネスカフェの瓶」は、実家の居間の神棚に供えられ、毎年、年末の大掃除のタイミングで、実家の母から「あれもう捨てていいか?」と聞かれ続けている。答えはNOだ。
手術後は、プールの時などに胸の傷の事でからかわれることもあったけど、そんなのは全く気にならなかった。コンプレックスが解消したのだから、私の気分は爽快である。
心配してくれていた親友のT君の家にも遊びに行った。
お見舞いに行けなくてごめんね。
いやいや、別にいいよ。
とか、そういう話をしながら、スーパーファミコンとかをした。
その時ちょっと気になったのが、T君の部屋にあった大量のカロリーメイトの空き箱だ。まだ食ってた。
余談だが、
先日健康診断に行って、心電図の検査の際に「この傷なんですか?」と技師の人に訊ねられたので、
「これ、オバケのQ太郎の弟のO次郎の顔に似てません?」と言ったら、
「ああ、あのバケラッタ!っていう黄色いあれですよね。似てないかもですね。」と返してくれて嬉しかった。
映画「はちどり」の中で、主人公が耳の後ろの「しこり」を切除する手術をする。
手術後に、主人公が切除した「しこり」を捨てたのかどうかを気にするシーンがあって、そのシーンを観た時に思い出したことを、今回記事に書いた次第です。
気味の悪い話で、なんかすんません。
以上だ。