あの素晴らしい愛をもう一度。黒歴史はアップデートの産物。

ごめんその話もう聞いたよ、と鬱陶しがられるほどにペラペラと話して聞かせたあの日の想い出、在りし日の栄光、武勇伝、自慢話。そういった素晴らしい瞬間が人生には何個かはあると思います。
その輝き具合や件数には個人差はあろうかと思いますが、キラリとした想い出は、いわば人生の宝物ですよね。
そういうキラリは、味の無くならないガムというか、溶けないハイチュウのようなもので、普段は口の中で丸めて上の奥歯の歯茎んとこに収納してるけど、ちょいちょい折に触れては取り出し、「お、まだ味するな」という具合に味わうように何度でも噛み噛みする、そういう素敵なものでしょう。
そんなキラリとした想い出、溶けない想い出ハイチュウも、ある日気が付くと真っ黒のカッチカチになっちゃっている事に気が付きます。苦みを感じて慌てて吐き出す。もう見たくない。思い出したくない。そんな厄介な存在に変容しているのです。
好きだった想い出が、一転して黒歴史になる。
年齢を重ねてゆくほどに、そういう事があります。
黒歴史化する武勇伝。
黒歴史化する青春の日々。
去年までいい想い出だったアレが、昨日思い返したら黒歴史化してた。というような感じです。
この現象はなんなのでしょうか。ふとした瞬間にその記憶にさいなまれます。周りに誰もいない事を確認して「ああもう!」と叫びたくなる。そんなメモリーのフラッシュバック。嫌ですね。
この前、YOUTUBEで落合陽一の対談番組の動画が流れてきて、ゲストが将棋の羽生善治。その動画は途中で切れて「続きは有料!」みたいなやつだったんですけど、その中で、羽生さんが「豊かな人生とは、後悔がたくさんある事」と言ってましてね。で、その真意はなにか気になるじゃないですか?でも「続きは有料!」になっちゃって、まだわからずじまいなんですけどね。これなんですけどね↓
結局、羽生さんの真意は、有料動画を観てないからわかんないままなんすけども、「後悔の多い人生=豊かな人生」という公式について考えていると、さっきの話「良かった想い出の黒歴史化」に対するポジティブなアンサーになるんじゃないかと思うのです。
良いと思っていたことや、素敵だと感じてたことが、いつからか恥ずかしい事になってしまう。忌まわしい事になってしまう。これはどういう現象なのか?
これはきっと、ある時期を境に自分の価値観や倫理観がアップデートされたから起こった現象だと思うのです。
あの日までは笑える話だったけど、今では笑えない。
あの事があるまでは、カッコいいと思っていた事が、今では格好悪い。
このような「価値観のアップデート」の後にハッとするのです。オセロがひっくりかえるように、あの白歴史が黒歴史にひっくり返る。しかも結構なタイムラグで。
こうして、人生の後悔が増えてゆく。
しかしこれを前向きにとらえると、価値観のアップデートが何回も行われており、年齢を重ねても新しくなっていけるのだという、なんだかわからないがフレッシュな気分にもなります。
とはいえね、家でご飯食べた後に食器洗ったりしてるときに、想い出の引き出しがふと開き「ああーもう!」ってなるのは、嫌は嫌ですけどね。まあ、アップデートした俺内でウイルススキャン中だと思って耐えますがね。
南無阿弥陀仏。