外付けインテリ物体へのレクイエム
2022/09/15
それはある種の興奮状態なのだと思う。定期的に書籍をどっさりと買ってしまう。
あれから一ヵ月後、さっぱり読んでいない。これは悪癖か。
話にきくと、こういうのはよくあることで、いわゆる「積ん読(つんどく)」というやつで、珍しい事ではなさそうだ。
「よくある事。」という風に、ひとまず状況を丸のみにして「そういうもんだ」と処理する機能が人間にはあって、その機能が、生きるうえで大きなメリットを生んでいるのであろう、とは思う。
「積ん読」というのは、言い換えれば「買って満足」「所持して満足」という状態なのだと思う。
例えば、「本」という物を、ある種の"インテリジェンス"を具現化したモノであるとした場合、それを小脇に抱えたり、枕元や、自室の見えるとこに置いたりすることで、なにやら一定のインテリ的な満足が得られてしまうような気がする。本というのは、実際のところ、そういう商品なのかもしれない。

書籍を作って売るビジネスにおいて、成果とされる指標は「発行部数」だったり「販売数」だったりするんだと思うが、「最後まで読まれた数」という指標がもし集計できるとしたら、実のところその数は「販売数」の30%くらいだったりするんじゃないか、なんて空想したりする。だって、多くの人が「積ん読」なのだから。
書籍はやはり「紙」であるべきだ、とか、いやいやキンドルみたいな電子版のほうがエコで合理的だ、とか、まあ色々と議論されて久しいんだけども、そもそも人間は「本」という物を、ただの「情報」としては消費しておらず、前述のように、「外付けインテリ物体」として、暮らしにおける何らかの欠損を補完しているんじゃないだろうか。
という屁理屈をもって、「この夏は読むぞ!」とか言って、まだ読み始めてもいない書籍たちへのレクイエムにしたい。
アーメン。