アンディ・ウォーホル定期便/主義主張やイデオロギーや商品や物語が何にもない「ブランド」を空にふわりと浮かべた人
2022/09/15
ウォーホル
Google検索などで何かを検索して、偶然このサイトに流れ着いてしまう人が毎日たくさんいます。どんな言葉で検索してくる人が多いのかというと、「安住紳一郎の日曜天国」と「アンディ・ウォーホル」です。そんなみなさん、期待外れの情報だったらごめんなさいね。
アンディ・ウォーホルに関心を持ち続けて随分経ちますが、長年ずっと考えていられる、飽きない、という事が凄いなと思っていて、結局のところ「いつまでたってもよくわからない」というブラックボックスがあり続けているから興味が持続しているんでしょうね。
という事で、アンディ・ウォーホルについては、たまに書きたいなと思うサイクルが来る。なので今回も定期便のような感じ書く。今から書く。
ウォーホルはアメリカの作家(美術家)です。
アメリカのスターや、アメリカの日用品や、アメリカで起きたニュースや、アメリカで使えるお金などを描きました。アメリカ人なら皆知っているもの、アメリカでポピュラーなものを作品のモチーフにしました。
「アメリカ人なら誰でも知っている」というのが、日本人の私にとっては重要なポイントです。
つまり、言い換えると「日本人の私には良くわからないもの」を描いている作家、とも言えます。
まず、ウォーホルの作品の前に立った時、ウォーホルから投げかけられている「これ、みんな知ってるでしょ?」という大前提を、私は受け取れていないわけです。アメリカの常識を私は理解していないからです。
いわば、お笑いで言うところの「フリ」の段階でポカンですよ。なので、当然その後に用意されているオチの面白みがわからない。
前提が共有できていないのですから、感覚的として「面白い」という着地はできない。そういうものだと理解しています。
私は、作者であるウォーホルが意図したようには作品を受け取れてません。
なので、私がウォーホルの作品から受ける感覚は、本質的に「誤解」です。残念です。
そんな私の家には、額装されたキャンベルスープ缶のポスターが飾られています。
たまにその前に立って、見る。じっと見る。何も感じません。
鑑賞できない絵画がここにあります。「何だこれ」って思います。
でも、この作品はとても人気があって、日本人の多くが知っています。
これは一体どういうことなのでしょう?
実績として、ウォーホルの作品は世界中で有名になりました。
特にキャンベルスープ缶の作品は有名です。
アメリカ人にとって、キャンベルスープ缶は、もともと「食料品」なのかもしれません。世代や地域によって、やや認識のされ方やポピュラー具合も異なるかもしれないですが。
しかし、アメリカ人以外にとっては、きっとあの缶は最初から「ウォーホル」でしょう。ウォーホルの缶ですよ。
日本のスーパーにも、缶詰のキャンベルスープは売っていますが、あ、あの、アートのやつだ。という印象が先に来るはずです。
図案化されたもの、シンボル化されたモノは、固有の意味を持ちます。
人間は、もともとそういう風に物事を理解し、社会的に情報共有する生き物なのかもしれません。
ドクロのマークが「死」や「悪」という意味で共有され、ハートのマークは「好意」や「愛」という意味で共通認識されているように。
ある図案(マークやアイコン)が、社会的に固有な意味を伴ってみんなに広く共有されるためには、ある条件が必要です。
それは、「みんなが知っている」という事。「有名」であるという事です。
例えば、ある小さな村の住人しか知らないマークがあるとします。それが「神」を意味するマークだとします。
そのマークは、この村のの外では全く意味が通じないマークです。
しかし、ある時、そのマークがプリントされたTシャツを、たまたまその国のイケメン王子様が着てテレビとかに出て「これは神って意味なんだよ」とアピールしたら、国内全体にそのマークと形と意味がいっぺんに認知され、国内の共通言語になります。
「図案」だけ見せられても、人間はうまくそれを評価できないでしょう。
「意味」だけ聞かされても、人間は具体的にそれを認知&記憶することは難しいでしょう。
「図案と意味」がセットになって、ようやくそれは「アイコン」になれるけど、共通言語にはまだなれない。
「図案と意味と一般認知」がひとまとまりにならないと、全員が認めるポピュラーなシンボルにはなり得ません。
図案 ✕ 意味 ✕ 一般認知
これで作られるものはなにか?
それは「ブランド」です。
「ブランド」には一定の価値が付加されます。
お金や宗教も、この「ブランド」がないと機能しません。
私が思うに、ウォーホルという作家は、
実態が、まったく何もない「ブランド」を作ったのだと思います。純粋なブランド。ブランドという概念そのものの具現化。
主義主張やイデオロギーや商品や物語が何にもない「ブランド」を、空にふわりと浮かべた人。
みんなそれを見上げてる。
日本からも見上げてる。
まだ見上げてる。