僕らが二度と純粋を手に入れられなくても2
2022/09/17

いま、ポッドキャストで音声コンテンツを配信したいと思っている。なぜそうしたいと思っているのか、自分でもよくわかっていない。というか、そもそもこのブログ記事を書いている理由も、SNSでどうでもいいことをポストする理由も、うまく答えられない。いや、そんなこともない。答えられる。でも答えたくない。答えてしまわないほうがいいような気もする。
承認欲求か。
自己顕示欲か。
そういうものかもしれない。
こういうのが「こじらせ」っていうのだろうか。
まあべつにいい。もう自分にとって当たり前の習慣になりつつある。義務感のような感覚すらある。
おそらくこれは、何かを思いついたり、気になったりしたとき、誰かに聞いてもらいたくなる病なのだと思っている。
ちょっと聞いてくれ。
聞いててくれるだけでいい。
こういう欲求というのは、きっと誰にでもあるんだと思うんだけど、自分は割とたくさん吐き出したいタイプの人間なんじゃないかと思っている。
私はマーケティングの仕事をしている。
おもに、消費者と商品の出会いを設計する仕事だ。
「素敵な出会い」に至る道すじを作る。
商品は消費者に出会いたい。買ってくれる人に出会いたい。片想いだ。
そこで、私はその商品と出会うことで願いが叶ったり、悩みが解消されたりする人を探し、彼らに対し、まずその商品の存在を知ってもらい、魅力を伝え、手を引き、その角を曲がり、店のドアを開け、暖簾をくぐり、カウンターに座らせ、おしぼりを出し、注文を取る。そういう仕事だ。
このように、商品と消費者が出会うまでのステップには細かく工程があるが、全ては「素敵な出会い」のために作られる。目的が明確である。目的を達成するために行う活動を「ミッション」というんだと思うが、毎回のミッションクリアが私の仕事である。
ミッションの成功率はどのくらいか?コスパはどうか?など、私の仕事ぶり自体、ある程度客観的な実績数値で評価することもできる。ちゃんと結果が出る。わかりやすくていい。こういうのは好きだ。
この、マーケティングという仕事の行動原理はミッションの成功。できるだけ多くの成功。できるだけ高い成功率。
そのために、すべての活動が設計され、許された条件の中で最適な手段が選択される。
情報量と分析力と判断力が重要で、私の主観やモチベーションなど成果に全く関係がない。それがいい。理にかなっている。
何かを求めて人間は動く。消費したり投資したりする。
人間が動く動機は、「今より良い状態になるため」もしくは「苦痛から逃れるため」基本的にはこのどちらかしかない。もう一個あるとしたら「反射」だ。
マーケティングとは、このような行動原理によって動く人間に対して、その欲求を叶える「商品」へ、「情報」を使って誘導するテクニックだと思う。だから、情報に嘘があっては絶対にだめだし、人間が反射的に動いてしてしまうような刺激を使ってはいけない。そういうのは外道だ。
私達の社会の大部分は「マーケティング」でできている。
たぶん、人間の本能的な行動原理は複雑だけど、基本は魚や鳥と変わらない。
その行動原理を理解して、情報で誘導する活動がマーケティングだ。
マーケティングで商売をしたり、宗教をしたり、政治的調整をしたり、求愛をしたりする。
たまに思う。
マーケティングの外は、一体どうなってる?
市場や社会における人間の行動原理から逸脱した振る舞い。そういうのが必ずある。
矛盾してしまうようだが、そういう原理からの逸脱こそ「人間」なんじゃないかと思う時がある。
こういうふうに思うことは、ひょっとしてとても恐ろしいことかもしれない、とも思うけど。
でも、そういうイレギュラーな行動も、結局は客観的に意味づけされて、マーケティングデータとして回収されるけどね。
つまり、自覚的であるかどうかに関わらず、世の中になんらかの情報を発したとたんに、それがどのようなものであっても、結果的にマーケティング活動に組み込まれるわけなので、そういう経済的な活動に対する潔癖というかピュアネスについては、気にしてもしょうがないってこと。
ポッドキャストはやる。
おわり。