AIとビーバーのこと
2022/09/21
AIに画像を生成させる技術が一般化してきているが、かくいう私も暇があればついやってしまっている。テキストの入力枠があり、そこに、何らかの言葉を入れてボタンを押すとAIが画像を生成する、というものだ。
実際にどんな言葉を入力したか忘れたが、たしか「ゴーギャンが描いたNBA」みたいな言葉を英語で入力して出てきたのがこれだ

ゴーギャンじゃなかったかもしれない。もうちょっとキュビズム寄りの、20世紀寄りの画家の名前を入れたかもしれない。まあいい。そんな感じだ。
様々な言葉の組み合わせで、多種多様、無限に唯一無二の画像が生成される。同じ言葉で2回やってみたが微妙に違うものが生成された。
これは、過去10数年の間、人間がインターネット上に蓄積した画像と言葉の膨大なデータベースが基盤になった技術だ。いわゆる「集合知」の応用と言える。最高だ。素晴らしい。
人間がイメージ創造する場合、その人の過去の記憶や経験がベースになっている。外部からの得た情報や刺激を、自分のフィルターを通して表現として排出されたものが「創造」と呼ばれる。
さて「創造」とは人間だけのものだろうか?
私は、人間以外が作った造形物が好きだ。
例えばビーバーのダムだ。

ビーバーが、その環境を把握し、工夫してコツコツ作った建築物。
鳥や昆虫や小動物の「巣」も魅力的だ。
仮に、私がビーバーをディレクションして、新しいダムをつくることができたらどうだろうか。そんなことを空想する時がある。現時点で、ビーバーと私はたぶん理解し合えないと思う。人間同士も理解し合えないと思っているのでなおさらである。でもいい。理解し合っていなくてもクリエイションは可能だし、それを観る他人だって、結局は勝手に何かを感じているだけだからだ。それでいい。
AIと一緒に何かを作る、というのはそんな感じなのかな、と思う。