橋で手を振る。「すべて忘れてしまうから7・8・9話」と「あのこは貴族」
2022/12/31
今年の11月半ば、ツイッターでこういうおすすめを観た。これは良さそうだぞ、と思ってすぐに停めてたDisney+を再開させた。
Disney+「すべて忘れてしまうから」。特に40代以降に刺さるドラマだと思うし、最終回の感じも良かった。CHARAの魅力が溢れて出ていて、ラストシーンを5回ぐらいリピートして観ている。 pic.twitter.com/V47zWou8Za
— ディウス (@sassin01) November 18, 2022
このツイートのディウスさんは会ったことない関係なんだけど、いつもナイスな情報をくれる人で信用をしている。もしも私が目隠をされ、なにか得体のしれないモノ食わされる状況になったとしても、彼のスプーンならば俺は元気よく大きな口を開けるだろう。ちなみに、ディウスさんとは最近マイミクになったよ。
「すべて忘れてしまうから」はこんな感じ。
主演は阿部寛。監督は岨手由貴子。原作は燃え殻。
東京で暮らす、若くない中年男性のミステリー作家が主人公。ハロウィンの夜、恋人の女性が行方不明になる。決して積極的とはいえない姿勢で、ゆるゆると主人公は彼女の所在を追って彷徨いながらも、SNSを始めてみたり、昔の友人を思い出してみたり、地蔵に呪われてみたり、野良猫を預かってみたりする。主人公の動きとは別ラインで、その失踪した彼女(尾野真千子が演じてる)を主軸としたストーリーも平行して描かれる。後半7・8・9話にガッツリと描かれる。
私は、この7・8・9話がすごくいいと思って、監督の岨手由貴子さんの他の作品を観なきゃと思った。で、映画「あのこは貴族」を観たわけです。
私は、この7・8・9話がすごくいいと思って、監督の岨手由貴子さんの他の作品を観なきゃと思った。で、映画「あのこは貴族」を観たわけです。
これらには、「現代のシスターフッドが描かれている」と、あっさり言ってしまっていいのかわからないが、つまりそういうやつです。
「すべて〜」の7話と、映画「あのこは貴族」で、似たシーンがある。
「すべて〜」の7話の後半、女性2人が9千円でボートに乗せてもらい、都市の川を流れる。ナイトクルージング。橋の下から橋の上のカップルに手を振る。「私たちは何だってできる」。こういうシーンがある。
「あのこは貴族」でも、半日街をさまよった主人公が橋の上で見知らぬ少女たちと手を振り合うシーンがあった。
私は敵じゃない。貴女は敵じゃない。
私たちは自由になれる。
他のことは、もう放っておこう。
っていうふうな事を語っている気がした。
いま社会が不安定で、きっととても悪くて、しかし現状を理解することがうまくできない。
「何を信用するべきか」というのは結局は損得勘定。損をしないために自分は誰を信じるべきか?という角度に傾いていきそうになる。強く引っ張られる。でもそれはとても貧しいことだ。
社会がどうであろうと、自分は何を信じるべきかを問い直す。「私たち」って誰なのかを問い直す。シスターフッドの「フッド」の部分だ。私は男だけど、同じことだろう?
既得権だとか分断だとか、そんなもん放っておけばいい。
9千円で借りたボートで橋をくぐり、君に手を振るんだ。
