映画「ベイビー・ブローカー」「万引き家族」「マイ・ディア・ミスター 私のおじさん」

2023/01/05
陸と海の境目が1mどちら側かに動いたとしたら、その「境目」の陸側あるいは海側でかろうじて生きていた生物は、一体どうなるのだろう?

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ギリギリでいつも生きていたいから。なんて歌えていた時代もありましたが、思いのほか厳しいリアルを手に入れつつありますね。

自分が所属している社会の輪郭線を白いチョークかなんかでぐるりと引っ掻いてみると「内側」と「外側」に分かれてしまうのは当然のこと。セーフとアウトを分ける。合法と違法を分ける。権利の有無を分ける。クリアなボーダーラインというのはシビアである。必ず外側にはみ出してしまう者が現れる。

さっきサブスクで是枝監督の映画「ベイビー・ブローカー」を観ちゃって。
夜中なのにガッツリ観ちゃってね。感動してるんです。で、これ書いてる。



是枝監督の映画は結構好きで割と見てると思うんだけど、今回の「ベイビーブローカー」を観て、これまでの是枝作品の共通点というか、一貫したテーマのようなものがスッとわかったような気がしたのです。

あとね、前作「万引き家族」と、この「ベイビーブローカー」の間には、是枝作品ではないんだけど、「マイ・ディア・ミスター 私のおじさん」っていう韓国ドラマが挟まっている。絶対だ。絶対に是枝監督はこれ観て「ベイビーブローカー」を作っている。

「万引き家族」と「ベイビーブローカー」は割と似ている印象なんだけど、「ベイビーブローカー」のほうが希望を感じさせてくれる世界観に着地させている。この「希望」の源泉は「マイ・ディア・ミスター 私のおじさん」だ。と思う。


是枝監督作品でいうと「誰も知らない」「そして父になる」「三度目の殺人」「万引き家族」、これらは、この社会のボーダーラインである「法律」の波打ち際が描かれた物語。法律の外側にはじき出されちゃっている者たちが、その波打ち際で波に足を取られないように手をつなぎ、よたよたと、でもキラキラと、逆光の中で笑い合う姿が描かれているように思う。しかし、いつも最後は「法律の線」によって内と外に分断されてしまうのだ。内側の正義で裁かれる。いや、内側であるということだけが正義の根拠とされている、とも言える。これらの作品には強い社会批判と問題提起がある。

内側が壊れているとしたら、外側で、せめて波打ち際でなんとかするしかない。
そんな状況でも、内側の正義は発動してしまうのか?


「万引き家族」の池脇千鶴演じる女性警察官は「内側の正義」として、主人公らを裁き、波打ち際から外側に追いやった。しかし、「ベイビーブローカー」のペ・ドゥナ演じる女性警察官も「内側の正義」であり「社会」である。クライマックスで主人公ら全員が外側に連れて行かれるとき、彼女は残された赤ん坊を抱く。このシーンはとても象徴的で、「この社会は、果たしてこの赤ん坊を生かす事ができると思うか?」と、私たち観る者に問いかけてくる。「できるもんか!」と私は思った。こんな結末は絶望的だ。「万引き家族」がバラバラにされて、あの少女がまた元の家に連れ戻された事を思い出した。最悪だ。…と、思ったらペ・ドゥナはこのあと波打ち際に飛び出すんだよね。それがとても素晴らしい救いのように描かれていました。「社会」が寛容さを持って変わっていこうとする姿に見えました。


話は戻るけど、「マイ・ディア・ミスター 私のおじさん」も、社会のに引かれたボーダーラインのギリギリで苦しんでいる主人公たちが、救い合う物語です。児童虐待と借金地獄と犯罪と障害者福祉と高齢者福祉とヤングケアラーと盗聴と賄賂と不倫と出世競争とパワハラとメンタルヘルスと地元愛と兄弟愛とサッカーと喧嘩。
ネタバレになるけど、このドラマのクライマックスはある人の「お葬式」なんだけど、「供花が少ないのは気の毒だから大量発注だ!」というシーンがかなりの山場になるのね。そんなドラマ観たことなくない?あと、俺このドラマ16話あるんだけど、8話以降ずっと号泣し続けたまま最終話までいくから。ぜひ観てほしい。




今、私たちが生きる社会の話。

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