黒澤明映画「天国と地獄」考察
2023/10/11

黒澤明監督、1963年の作品「天国と地獄」。今から60年も前に作られた映画です。先日U-NEXTで初めてこれを観たのですが、これまで観てきた日本映画の中で、ダントツに面白かった。冗談抜きで1番かもしれない。「ああ、どうしていままで観てなかったんだろう」という感覚を通り越し、「まだ観てない人超羨ましい!」という心持ちでございます。
ここからは、結構いい感じのところまであらすじを言います。ある程度ネタバレもします。
公開から60年も経ってるからいいですよね?
さて、この「天国と地獄」ですが、英語のタイトルは「HIGH & LOW」というそうです。高いところと低いところ。上流と下流。とある会社の重役に降りかかった身代金誘拐事件を主軸に描かれる現代社会のハイ&ロー。
この映画は、「ナショナル・シューズ」という大手靴メーカーの重役が数人で密談しているシーンから始まる。今の老社長を追い出して、ファストファッション的な路線でさらなる利益追求をしたい重役達。彼等が会社を乗っ取るには、社長が持っている株よりも多くの株を保有する必要があった。重役たちは結託して株を持ち寄るが、社長に少し及ばない。
そこで、乗っ取りを企む重役たちは、同じく重役の1人である権藤という男に「お前もこの話に一枚噛めよ」とばかりに結託話を持ちかける。
この会社の重役たちは超リッチ。成功者である。名優・三船敏郎が演じる権藤が住む豪邸も、眼下に街を眺める高台にあり、誰もが羨む生活をしている。
そんな権藤の屋敷に悪巧みの重役たちがやって来て、企みの説得を試みるが、権藤はその話に乗らない。
「俺は自分が納得する靴を作る。そんな粗悪なガラクタを作る気はない。」
と、他の重役たちの話を突っぱねる。
品質にこだわる、叩き上げの職人気質の権藤だが、これまで苦労を重ねて築き上げたこのステータスにも強い執着を持っていた。権藤はただの苦労人ではなく、したたかな戦略家でもあり、かねてからコツコツと根回しをし、自分の持ち株比率を高める算段を進めていた。そして丁度このタイミングで他の株主から多くの株を譲って貰えることになったのだ。
したたかである。そして大胆。
権藤は住んでいる豪邸も、何もかもを抵当に入れて金を作り、株を買い集め、一気にナショナル・シューズの筆頭株主になるつもりだ。そうなれば、会社は自分の思いのままである。
権藤がその株を買うために必要な金額はざっと1億五千万円。そのうち、三分の一の五千万円を手付金として明日支払う事になっていた。
とうとう自分の時代だぜ、とばかりに、虎の子の五千万円の小切手を秘書の男に持たせて、取引先の大阪へ行けと命じる権藤。
と、その時、権藤の家の電話が鳴る。
「権藤さん、お前の息子は預かった。身代金は3000万円だ」

その日、小学生の権藤の息子と友達のシンちゃんが、2人で権藤邸の周りでカウボーイごっこをして遊んでいた。
誘拐犯からの電話をきっかけに息子が近くにいない事に気づいた権藤は取り乱し、五千万円を持たせた秘書を呼び戻す。
息子の命には変えられない。身代金3000万円は払おう、と、権藤は腹を括る。
すると、姿が見えなかった、拐われたはずの息子がひょっこりと屋敷のリビングに帰ってくる。
「あれ?シンちゃんどこ?」と息子。
そう、誘拐されたのは、友達のシンちゃんの方だったのだ。まずは我が子の無事を喜び、息子を抱きしめる権藤とその妻。
その時、彼等の後ろで頭を抱えている男がいる。権藤のお抱え運転手の青木である。シンちゃんは青木の息子なのである。
自分の息子を拐われた青木ではあるが、長年仕えた主人のような存在の権藤にはものが言えず、ただただ背中を丸めて立ちすくんでいる。
はい。ここまでがこの「天国と地獄」という作品のイントロです。2時間以上ある映画ですが、ここまででまだ15分しか経っていません。しかも、ここまでのほぼ全てのシーンが権藤邸のリビングの中だけで撮影された会話劇です。
凄い。凄いぞ黒澤明。
15分間でこの緊張感。ソファに寝そべって蒟蒻畑を食べながらダラダラ観はじめていた私でしたが、この時気がつけば正座です。目が離せない。もう画面に釘付けです。
誘拐犯は、権藤の息子と間違えて運転手の青木の息子を拐ってしまったようだ。この状況を理解した権藤はこう言い放つ。
「なんで俺が身代金を払わねばならんのだ!」
おいおい嘘だろ!権藤の妻はドン引きである。
しかし、権藤の理屈はよく分かる。分かってしまうのが辛い。青木は何も言えずに立ちすくんでいる。
そうこうしているうちに、通報した警察が「高島屋」のトラックに乗って権藤の屋敷にやってくる。配達員の格好をした男達が4人。刑事である。この登場シーンで、彼等が優秀な刑事達である事がわかる。どこかで犯人がこの権藤邸を見張っている可能性を考慮した動きである。
この刑事たちのリーダーは戸倉警部という七三分けのスーツ男。ギョロ目の仲代達也が演じている。スタイリッシュ。凄くカッコいい。超できる奴っぽい。
ここからは、この戸倉警部率いる警察の捜査チームが中心となって映画が進んでゆく。

捜査チームはここから、誘拐犯からの電話の逆探知を試みたり、権藤邸近辺の捜査を開始したりするものの、この事態を進める上で最も重要なことがまだ決まっていない。
それは「権藤が身代金を出すかどうか?」である。
仮に身代金3000万円を出しても、シンちゃんが戻ってくる保証はない。しかも、その金も取り返せるかどうかわからない。
子供の命はもちろん大事。そんな事は百も承知ではあるけれど、けれどもやはり渋るのである。めちゃくちゃ渋る。マジかよと思うほど渋る。しかしながら当然である。権藤にしてみれば、3000万円をドブに捨てるようなものだ。もし3000万円を出すとなったら自分は破産し、会社を追われてしまう。この豪邸も競売に出されて丸裸の一文なしになってしまう。
そんな中、戸倉警部は権藤にこう言う。
「嘘でもいいから犯人には払うと言ってください。」
憤慨する権藤。まあ無理もない。こりゃダメだ、と諦めムードになる権藤邸のリビング。
運転手の青木もこう言うしかない。
「きっと大丈夫です。うちのせがれはああ見えて結構すばしっこい奴ですから、犯人の目を盗んで逃げ出してきますよ。。。(泣)」
んなわけあるか!と、観ている私はもちろん、映画の登場人物の全員が心の中で叫びつつも、非情すぎる沈黙が画面を支配してゆく。
青木が膝から崩れ落ちる。
この最悪な空気の中、犯人からの電話が鳴る。
受け渡し方法などが電話越しに淡々と伝えられる。
「1万円札を千枚、五千円札を三千枚、千円札を五千枚、これで3000万円用意しろ」
この電話を受けた権藤は、その流れで自分の金を預けてある銀行の支店長に電話を掛ける。
「急いで金をおろしたい。1万円札を千枚、五千円札を三千枚、千円札を五千枚、合計3000万円用意してくれ。」
とうとう腹を括った権藤。
そして事態は加速してゆく。シンちゃんと身代金の受け渡しである。犯人との接触もあるかもしれない。
犯人からの指示は、厚さ7センチのバッグ二つに身代金を全額入れて、指定の時間の「特急こだま」に乗れ。である。
どうやって受け渡すのかなど、詳細な段取りは伝えられないまま、権藤と戸倉警部率いる捜査チームは「特急こだま」に乗り込む事になるのだが、、、。

ここまででどうでしょうか。ヤバくないですか?
この続きめちゃくちゃ気になりますよね?
ここら辺までで、まだ映画開始から1時間経っていません。45分くらいです。
このあとの展開をざっくりいってしまうと、特急こだま内でのスリリングな展開があり、警察の総力を上げた地道な捜査シーンがあり、犯人の登場があります。
ここまであらすじを書いてきてなんなんですけど、やっぱりね、特急こだまのシーンから先は実際に見て欲しいです。手に汗握る展開が続き、どんどん映画の雰囲気が、暗く、ノワールになって来ます。死人も出ます。夜の歓楽街、スラムの麻薬中毒者たち、後味は最悪かもしれません。
近年の映画で例えるなら、「ダークナイト」とか「ジョーカー」とか、ああいうのに近い感じになってきます。
そのジョーカー的なキャラクターを演じているのが、まだ新人だったころの山崎努です。山崎努がマジでヤバいです。
戸倉警部を演じた仲代達也も超クールだし、権藤を演じた三船敏郎の存在感も凄いです。
余談ですが、この「天国と地獄」に影響を受けた身代金誘拐事件が多数発生したようです。模倣犯というやつですね。その中で「新潟デザイナー誘拐殺人事件」という事件がありました。映画公開の2年後の1965年の事でした。電車を使った身代金受け渡しなどの手法も「天国と地獄」を模倣したものでした。
少し調べたのですが、この「新潟デザイナー誘拐殺人事件」は、なんと、我が家の割と近所で起きた事件でした。
全然知らなかっただけに、なんとも言えない気分です。しかもこの事件は犯人がすぐに捕まり、死刑判決となりましたが、刑を執行する前に獄中で遺書も残さずにさずに自殺を図り、亡くなったそうです。
さらに、この事件は冤罪の可能性があるとして、「冤罪事件データベース」にもラインナップされている事件だそうです。
というわけで「天国と地獄」を、ぜひご覧になってください。U-NEXTで観れますから。