ヘンリー・ハーシュと90's J-POP

2023/10/22


2020年代は30年前にあたる1990年代のカルチャーのリバイバルが盛んですが、じゃあその1990年代はどうだったかというと、さらにその30年前の1960年代カルチャーの再評価とリバイバルがありました。

ヘンリー・ハーシュというレコーディングエンジニアがいます。ざっくりいうと、ミュージシャンの演奏や歌を録音し、音質・音量・などを調整する技術者です。

1990年代の私はレニー・クラヴィッツのファンで、彼のCDは傷だらけになるまで聴き、付属のライナーノーツもボロボロになるほど読み込んでいました。ファンですから。


レニー・クラヴィッツのCDのライナーノーツには、いつもバンドのメンバーと並んで、「Henry Hirsch」という名前がクレジットされていて、なんと読むのかは分からなかったのですが、「ヘンリー・なんとか」という名前はしっかりと記憶していました。

90年代の日本では、めちゃくちゃCDが売れていて、カラオケも盛んで、テレビでも音楽番組がたくさんありました。J-POPの隆盛です。

当時の中高校生は、ミスター・チルドレンの「アトミックハート」というアルバムCDをみんな持っていたと思います。友達の部屋に遊びに行くと高確率でありました。

ミスター・チルドレンの1994年の大ヒットアルバム「アトミックハート」は、当然私も持っていて何度も聴きました。ヒット曲が何曲も収められていて、華のある名アルバムでした。

ミスター・チルドレンはその2年後の1996年に「深海」というアルバムをリリースします。死刑の時に使われる電気椅子のように、海底に沈み佇む一脚の椅子。暗く陰気な印象のジャケットでした。私はこのアルバムを聴いて、一曲目からめちゃくちゃびっくりします。

ミスチルの音がレニー・クラヴィッツの音と同じだったからです。

シーラカンスという曲でした。

この曲は静かで暗いトーンで始まりますが、途中から歪んだギターとドラムの音が、割り込むように鳴り始めます。その音がレニー・クラヴィッツの音とそっくりです。

例えばこれです。


驚いた私は、そのミスチルの「深海」のCDのライナーノーツ読み込み、そこに「Henry Hirsch」の文字を発見します。

「あ、『ヘンリー・なんとか』だ。」

この時、10代の私は気がついたのです。私がずっと好きだったのは、レニー・クラヴィッツというよりも、この「ヘンリー・なんとか」のほうだったのかもしれない、と。

その証拠に、レニー・クラヴィッツのアルバムは、1枚目から3枚目までは最高で、4枚目まではまあまあ良かったのに、5枚目が急に別物になったのです。そうです、ヘンリー・ハーシュが参加していなかったのです。

なるほど。こういうことがあるのか。録音エンジニア次第で音楽を好きなったり嫌いになったりすることがあるのか、と驚きました。

ここから私はヘンリー・ハーシュを追っていくことになります。


ヘンリー・ハーシュは、1970年代の後半からドイツのベルリンでピアノ奏者としてスタジオミュージシャンをしていたそうですが、1980年代になり、彼はニューヨークでアパートを借り、その一室でレコーディングスタジオを開業。その後は何度か引っ越しをしつつ、その街のバンドのレコーディングで技術を身につけていきました。

彼のレコーディングスタジオの名前は「ウォーターフロント・スタジオ」といいます。

そして1985年、ウォーターフロント・スタジオのヘンリー・ハーシュは、デビュー前のレニー・クラヴィッツに出会い、3枚の名盤「レット・ラブ・ルールー」、「ママ・セッド」、「自由への疾走」を作りあげます。この3枚のアルバムはそれぞれに個性があるのですが、やはり3枚目のアルバムがヘンリー・ハーシュの個性が強く出ている気がします。

時代は90年代後半です。音楽制作の現場がどんどんデジタル化していった時代です。CDで聴きやすい音にする技術や、編集加工しやすくする技術が導入されていったのだと思います。

そんなデジタル化の流れの中で、逆にアナログな手法で脚光を浴びたのが、ヘンリー・ハーシュの「ウォーターフロント・スタジオ」でした。

60〜70年代の楽器や機材を使い、それこそ60年代後半のレコードのような空気感、手触り、温度感を再現・再構築していました。なので、彼が携わっている音楽は、ザラついたヴィンテージ感のある匂いがします。レニー・クラヴィッツの初期作品は、このような環境で作られたものです。素晴らしい。

この頃のウォーターフロント・スタジオもう随分前に閉鎖され、その後のヘンリーはまだ違う場所でスタジオを作ります。教会を丸ごと買って、そこにまたヴィンテージ機材を運び込んで新しいウォーターフロント・スタジオを作ったそうです。

前のウォーターフロント・スタジオが閉鎖される時に、そのスタジオの心臓にあたる数々のヴィンテージ機材を丸ごと買い取ったのが、ミスター・チルドレンのプロデューサーでもある小林武史です。小林武史はヘンリー・ハーシュの影響を受けていると公言していますし、ヘンリーは小林武史がプロデュースする、ミスター・チルドレンの「深海」のエンジニアリングの他にも、My Little LoverやYENTOWN BANDにも参加しています。ベーシストとして参加している楽曲もありますね。

あのヘンリー・ハーシュのサウンドにショックを受けた人は多かったんじゃないかと思います。私はまだ子供だったので、徐々に後から知っていった感じではありますが、例えば、1997年にリリースされたボニーピンクの「Heaven's Kitchen」というアルバムを聴いて「これヘンリー・ハーシュの音をやろうとしているな」とか、そういう感じのことがJPOPを聴いていると、多々感じる事がありました。


↑この最初のドラムの音です。

ヘンリー・ハーシュの作った音は、90年代の日本のど真ん中で鳴っていて、その後もJPOPの養分になり、ひょっとしたらこの2020年代にも彼のサウンド的な遺伝子がなにかに影響を与えていたりするかもしれないですね。

90年代のUKのロックバンド、ザ・シャーラタンズが2010年にリリースした「Who We Touch」というアルバムにもヘンリー・ハーシュは「mixing」でクレジットされています。やはりアルバム全体を通してヘンリー・ハーシュ感があります。5曲目の「Intimacy」をどうぞ↓



私がヘンリー・ハーシュの音で好きなところは、まずはドラムです。ハイハットが粒の粗い不揃いな金属音をシャリシャリと主張する一方、太く圧縮されたキックとスネアがそれを押し返すように鳴り散らかされます。プリミティブで力任せなエネルギーを感じます。ギターは電気に触ってしまったかのようなエレキギターの痺れと歪み、またそれとは対照的に澄んだアコースティックギターのシンプルなストロークとリバーブの残響。ベースは結構高い音域まで迫ってきます。これらの要素がすべて含まれた曲は限られてきますが、このような極端に対照的な音色を「多重録音してまっせ」という風に、わざとダビングの手触りのようなものを残し、楽器の演奏やボーカルも、それぞれの音が不揃いのまま重ね合わせる事で「スムーズ&ナチュラルじゃない感じ」が逆にリアリティを感じさせてくれます。「お、多重録音してるぞ!」っていうリアリティです。





ちなみに私が1番好きなヘンリー・ハーシュのサウンドは、1992年のヴァネッサ・パラディのアルバム「Vanessa Paradis」です。スタジオレコーディングだけじゃなく、ライブ盤のエンジニアリングもかなり良いです。ぜひ聴いてみて下さい。