羊たちの沈黙とターミネーター2はライオット・ガール映画か

2023/11/04
「映画寝ずの番」というポッドキャストが好きでたまに聴いています。大島育宙さんとジャガモンド斎藤さんの2人が好きな旧作映画を掘り起こして掘り下げる、映画再発掘&考察系の番組です。北野武映画やJホラーの特集回などはとても面白いです。
最近の更新回で、映画「羊たちの沈黙」を取り上げてました。前編はざっくりおさらい、後編は深掘りと考察、という流れです。この前篇の回を聴いて、居ても立っても居られずにU-NEXTで観ちゃいましたよ「羊たちの沈黙」。


「羊たちの沈黙」1991年公開、主演はジョディー・フォスター、アンソニー・ホプキンス。監督はジョナサン・デミ。↓これは当時の予告編。


公開当時私は中学生でしたが、ほぼリアルタイムで観た記憶があります。かなり衝撃を受けてハマってしまい、世界のシリアル・キラーとかFBI犯罪心理学という類の書籍を読み耽って両親に心配されたていた時期があります。ロバート・K・レスラーの本とか、そういう感じのやつです。

1991年というのは、この「羊たちの沈黙」が公開された年でもありますが、「ターミネーター2」が公開された年でもあります。ほぼ同時期でした。羊たちの沈黙はアカデミー賞を総ナメ。ターミネーター2は世界的に大ヒット。

一昨年のゴールデンウィークの頃、私は暇を持て余してなんとなくNetflixで「ターミネーター2」を観たのですが、中学生ぶりだったので、当時受けた印象と随分と違っててびっくりしたと同時に、これって女性目線の映画だったのか!と、認識を新たにしました。別の新しい映画を観た感じがしました。
→その時書いた記事「ターミネーター2/30年前から女の怒り爆発

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さて、今日観た「羊たちの沈黙」ですが、これもそうなんです。ジェンダーとフェミニズムがメインのテーマの映画でした。やはりこれも中学生ぶりにだったので、観た印象が結構違いました。めちゃくちゃ面白かったです。
ジョディ・フォスターが演じる主人公のFBI訓練生クラリス(女性)と、ホモソーシャルとして描かれるFBIや警察組織。映画の中で、終始男性に囲まれて値踏みをされるようにジロジロと見られるクラリス。彼女は常に男性に囲まれているようでいてその実最も疎外され、軽視さて、搾取さえされているのだけど、彼女と同様にハンニバル・レクターも檻の中に入れられて看守に囲まれてはいるが「社会の外」の存在だ。このような構造的な意味で、レクターとクラリスには共通点が感じられる。この映画を観ていると、レクターとクラリスの会話だけが唯一まともな会話に思えてくる。そんな「部外者」の彼らだけが、進行中の猟奇連続殺人の犯人に辿り着ける。犯人は倒錯と混乱を抱えるセクシャルマイノリティという設定なのだが、本作のクライマックスとなる、暗闇の中、赤外線暗視スコープでクラリスに迫る犯人視点の映像というのが、男性がクラリスに向ける視線と、今までそうして見られてきたクラリスの心象が一体化した映像に見える。おぞましく恐ろしい。
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この暗視スコープ映像を観ていると、まるで男性社会が生み出した歪みのような者の、叶わぬ願いを切望する眼差しのように思えてくる。いや、見方によっては女性を食い物にする者の視線、ホモソーシャルが濃縮されたような視線でもある。凄いシーン。このシーンのために今までのカットが積み上げられてきたんじゃないかと思う。

フェミニズム映画として作られたであろう「ターミネーター2」と「羊たちの沈黙」。さて、これらの映画が作られたのには何か背景があるんじゃないか?1991年頃のアメリカでなにがあったのか?というのが気になるところ。

ざっくり調べてみると、やはりこの頃のアメリカでは「第三波フェミニズム」というムーブメントがあり、個人主義と文化とジェンダーの多様性を掲げた運動だったらしく、このムーブメントの源流を遡ると、「ライオット・ガール」という女性によるパンクムーブメントに辿り着く。


なお、1991年のアメリカの出来事として、アニタ・ヒルという女性弁護士が最高裁判事のクラレンス・トーマスをセクハラで訴える事件(アニタ・ヒル事件)が起こった。これが当時のアメリカ社会に大きな影響を与え「セクシャル・ハラスメント」というものを一般認知させた、とのこと。

1991年のアメリカはこういう感じ。今から30年以上前のこと。こういう時代に作られた映画なのだなぁ、と、今見て深く感じ入るものがあります。

あの頃見た映画をもう一回今観る、っていうのは、なかなか面白いですね。発見が必ずある。

「羊たちの沈黙」と「ターミネーター2」、お時間があれば、ぜひあらためてご覧ください。面白いですよ。