イーゴン自治区

ロード・オブ・ザ・自分 1

2008/12/28
自らの耐えがたき存在の軽さの存在に耐えかねて、
ん、なんか存在とかいっぱい言ったね。まあいいか。
といった軽さをもってして、自分探しに出かけた。

吉祥寺に。

吉祥寺で「自分」が見つけられるのか、いや、吉祥寺まで行くとアレだから、井の頭公園でなら見つかるんじゃねえか、とか、そういう事はどうでもよくて、つまりは、私はあの日、退屈をしていた。

人生において必要なものがいくつかあり、
また、必要の無いものも、やはりいくつかあった。

「この魚は、おい、捨てるところが無いな、全部食えるんだもんな、なんだかなぁ。」

と、阿藤快は言うが、そんな貪欲さすら、私には必要が無かった。
可能性が許す全てにおいて、選択の自由と鉄の意志こそが
それぞれの人生をいかようにでも決定するのである。

許された人生の中で、付き合う人間や日々の仕事、そして甘い思い出さえも
自分で決めてしまうのが望ましい。

私は、人生において「余白」を必要としていた。
ビルや民家や小さな営業所がひしめき合うこの街にも、
ジャイアンリサイタルを開催できる程度のささやかな空き地は必要だ。

何の意味もない時間が欲しい。
それはなるべく生産性の無いものがいい。
意義や思想やロマンすら持ち合わせないものがいい。

つまり、私は、趣味が欲しい。という事だ。


吉祥寺で自分を探して半日たった。
年末の街は活況を呈していた。
親子連れ、カップル、老人、親子連れ、女子高生、親子連れ、迷子
という具合の人の波。

このカテゴリでいうと、さしずめ私は、迷子という事になる。
自分を探しても見つからない吉祥寺。
やはり、井の頭公園か。

「すみません!私を知りませんか!自分を探して半日たっちゃいました!」

そんな声に対して、世間はいつもこうだ。

「ああ、おでこに掛かってるじゃん。」

言わんとしていることはわかるが、メガネと自己実現を混同してもらっては困る。

お前はそこにいる。
君は君自身だよ。

そんなJPOPは要らんのだ。

ここにいるよ、では済まされないのだ。
というか、青山テルマって、ずっと「赤坂サカス」とか「表参道ヒルズ」とか、そういう施設名称かと思っていたけど、人なのね。

と、まあ、そんな具合

つづく。

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