のぶさん
彼の事を書こうと思う。
この自治区では「のぶちゃん」ですが、実際には「のぶさん」と呼んでいる。
彼は私の同門の兄貴分であり、
かつては仕事の同僚であった。
少し歳は離れているけれど、今では気の合う友人だ。
と、思う。
お互いに、「ここからは、入ってくるなよ」
という見えないテリトリーがあるようだ。
死ぬまで決してお互いのチンコを見る事はないだろう。
川原で殴り合って「おまえ、なかなかやるな」という風にもならないだろう。
彼の人とのかかわり方や距離のとり方のよそよそしさは
私にとっては丁度いい。
私もたぶんあんな感じだと思うからだ。
人間モドキだからだ。
我々は、絵画研究所という仕事場で働いていた。
ある日、「のぶさん」はこう言った。
「実はさ、ポロック。あれ、わかんねぇんだよ。」
同感だった。
それから、ポロックは、ああなんじゃないか、こうなんじゃないか、と。
数日に及ぶ「ポロックブーム」は盛り上がり、やがて廃れる。
結論もないままに終わるのだ。

また別の日に
「オリジナルの新作落語を、作ってみた。」
と、口火を切ると、また数日に及ぶ「インディーズ落語会」は盛り上がり、
やはり、やがて廃れた。
もう、内容も忘れたが、
「のぶさん」はそばを食う真似だけは体得していたようだった。

格好よくいうと、我々は、文化的な話、芸術の話をよくしたものだった。
非常にバカバカしくて実があるんだかないんだかわからない話を
よく飽きずに毎日していたものだ。
例えば我々が、一日に一本の電車しか来ない駅の、退屈な駅員だとしよう。
想像に難くない、そういった毎日だとしても、
おそらくあの頃のように、毎日しゃべっているだろう。
当時のことを思い返し、何をやってたっけなぁ、、と考えると、
結論はこうだ。
だいたい毎日「のぶさん」と喋っていた。
だいたい毎日「のぶさん」と喋って、3年経った。
つまり、20代の半ば、私は何をしていたかというと、
だいたい「のぶさん」と喋っていた、という事になる。
よくもまあ、といった感じだ。
私は「のぶさん」から、いろんな事を学び、
「のぶさん」も私から多くを学んだ事だろう。
と、思う。
ふと思うと、
人生において、こういう関係の人というのは
そう現れるものではないような気がする。
仕事を辞め、お互いに違う仕事につき
もう、ほとんど会うことが少なくなったが、
思い出したように再開する度に、
当時とは180度違う、どちらかというと世知辛い話の内容にもかかわらず、
同じテンションで話をする事ができて楽しい。
今じゃ会うともう、ほとんど銭ゲバな話しかしない。
あの頃の生活、
あの頃の価値観、
あの頃の閉塞感、焦燥感、
あの頃の夢や希望や変な期待。
それはもう、あまりに中途半端な、9回の裏の青春であったようにおもう。
ああ、おもしろかった。
「のぶさん」、私はいま、あの時のあなたの年齢になりましたよ。
まだ車の運転は、ほとんど出来ませんけどね。