イーゴン自治区

立川談志モデル

2009/04/04
人間は、大昔に言葉や音楽や踊りみたいなものが生まれてから今日にいたるまで、
ものすごく多様なヴァリエーションの情報伝達方法を生み出してきた。

手紙や郵便や、印刷やラジオやテレビや、インターネット。
こういった「システム」というか「媒体」を介した方法。

そして、それぞれの媒体には、
その媒体のいいところや特徴を活かした「表現方法」や「マナー」が生まれ、
それがスタンダードという事になる。
そしてようやくそこから「こんな事もできるんじゃないか」「あんなこともできるぞ」という
多様なフォームが生まれてくる。

例えば、音楽という表現はこのフォームの更新が絶えず続いている。
漫画の表現も、その可能性を広げている。

表現とは、大きく3つの要素で成り立っていると思う。

 ・目的
  (誰に何を伝えるのか)
  ↓
 ・メディア
  (どんな媒体を使うのが効果的かを考える)
  ↓
 ・表現方法
  (そのメディアを使って、目的を達成するための最良の方法を考える)

まあ、こういう流れの考え方はまっとうだが、そうでない場合も多い
不可抗力的に、媒体や表現方法が限られてくる場合もある。
例えばヒップホップはそうだね。

キッズたちは、最終的に表出した表現の部分を見て
その表面にあこがれ、自分のアイデンティティを埋めて行くのである。
例えば、ファッションとはそういうものだろうね。


ものすごい環境的・経済的・政治的な制約がある中で生まれて育った
黒人文化の歴史というのは、とっても興味深い。

そんな黒人文化も今では、黒人だけの手法だけではなく、
日本人やフランス人やシンガポール人の若者たちの、
表現の手段になっているというのが面白い。

というわけで、この21世紀。
媒体としての、インターネットを考えたいのだが、
以下の動画を見ていただきたい。

▼立川談志の落語の枕(イントロ的なおしゃべり)


これはすごく興味深いです。
フォーマットとしては非常に原始的な「しゃべる」という伝達方法を最大化させて
エンターテイメントとして日本ではクラシックとなった「落語」という表現ですね。

そしてその最も先端にあるのがこの「立川談志」のメソッドだと思うのである。
この、ひとりごとのように吐き出される批評や引用や個人的な愚痴。
しゃべりながら考え、試行錯誤し、同時にそれを表出させ、
それが表現として成立している。

インターネットで言うところの、
リアルタイムで更新されるBBSやチャットやwikipediaを
生身の体ひとつで、やってのけているという脅威。

しかも、個人的な話をエンターテイメントとしてやっている。

この動画の続きもYUOUTUBEにあるが、
「饅頭こわい」という古典落語のスタンダード中のスタンダードをやっている。

この現代に、江戸時代を題材とした古典落語をフォーマットとすると
無理や矛盾が発生する。
談志は、それをまた話の途中で自己批評したり、
話の内容を今日的な問題とリンクさせる。

すごいね。
この人も、ひとりWEBだ。
もうひとりは、アンディ・ウォーホル。


余談ですが、

目的があって手段を選択する。
もしくは、目的があって、条件・制約があって、手段が消去法的にきまってくる。
といった、筋道の正しい表現方法の選択は、
その「目的」がなければそもそも始まらないわけなので、
目的を模索する段階の「青春」という時期には、このやり方では破綻する。

しかしながら、多様な表現に触れ、実際にいろんな方法を試しながら
「ああ、この方法だと、こんな事が出来るんだ。」とか
「このやり方だと、あそこには伝わらないんだなぁ。」とか
そんな試行錯誤と実感を積み重ねて、
逆に「目的」が決まってくるというのもアリ。

忘れちゃいけないなとおもうのは、
方法に縛られちゃいけない、という事だ。

ウェブ業界で働いてたりすると、
なんだかすべてをウェブの中で考えてしまいがちだ。
積み重ねたノウハウやリソースを有効活用することは大切だけど、
自由な発想を制限することは無いね。

子供の頃からずっと、
「できるだけ自由に生きたいのだ!」と思っていたけど、
なんかようやく最近、「自由」ってどうゆう事かが
わかってきたような気がするのだ。
するのだよ。

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2009/07/27 (Mon) 22:45