他人アルバム
他人の日記が自分の思い出アルバムになるってのは結構面白いもので、
自分が預かり知らぬところで、家族や友人が、私の日常を知るのです。
自分の人生や、パーソナリティ、アイデンティティは、オンリーワンというわけではなく、
自分にかかわる周囲の視線によって補完されている。
つまり、色んな自分というのが、いてしかるべきなのだね。
「自分の事は、自分が一番わかっているぞ」というのって、どうなんだろう。
むしろ、自分の事なんて、自分が一番わかっていないのかもしれないね。


© リヴィング・トーキョー・デイ・バイ・デイ
自分の生きた時間の輪郭を確認するために、
昔のアルバムをみたり、思い出話をしたりするのだろうね。
そういえば、私は、20歳を過ぎた辺りから、自分の写真を全く持っていないな。
なるほど、私には人生の輪郭を確かめる手段があまり無いのかもしれないな。
と、おもった。
写真をとってくれる友人や、自分の日記に私の事を書いてくれる友人。
彼らの記録は、私の人生の輪郭とリンクしている。
肖像権だのプライバシーだの、そんなしょっぱい事は言わないぜ。
生きている間に、どんどん乱用してくれればいいと思う。
自分のブログで、つまりインターネットで、自分の写真を載せた、という事は、
事実上どこに使われてもいいという事です。
見知らぬ人の行為が、私の輪郭になる事のほうが、
よほど刺激的で、ユニークな事だと思うのです。


© リヴィング・トーキョー・デイ・バイ・デイ
20歳くらいから自分の写真をそんなに見てないから、
やっぱ若干の老いが出ちゃってるね。ノネナール。