写真家 坂口トモユキ
2009/04/26
「異星人というのは喩えですけど、住宅街という日常的な場所を生まれて初めて見たかのように客観的な視点で撮りたいんです。だれでもが馴染みの場所なので、はじめて地球にやってきたくらいな新鮮な気持ちで、という思いです。」(本人談)

坂口トモユキさんの写真は、本当にそこにある、あたりまえの風景やモノを、いわば、コントのセットような違和感もって提示してくる。
例えば、アメリカの映画監督が撮った日本人や日本の風景が、本当にいつまでたっても我々日本人にとっては「なんか違うんだよな。」という違和感をもって見られるという事。
カメラって、そのまんま写るんじゃないの?
誰がやっても同じなんじゃないの?
なんて、思っていたのですが、上記の例を出すまでも無く、そうでもないのだな。

私は一時期、京王線の西の西、「中河原」というところにある某新聞社で働いていた事がある。
その町は、人気の無い完全なベッドタウンで、夜は誰も居らず、
昼間はただ、大きな団地やマンションのベランダというベランダから、布団やシーツの洗濯物が、舌を出したようにべロンと干され、その風景をもってようやく、ああ「人が暮らしているんだな」とわかるような、本当に「ニセモノの街」といったところだった。
彼の作品で、そんな「中河原」で撮影されたものがある。
彼の「中河原」は、さらに輪をかけて、おかしな事になっている。
異星人が撮った写真という形容は、なかなかおもしろい。
そこがどこだかわかるのに、「本当にそこなのか?」といった、たどり着けなさを感じる、不思議な感覚だ。
↓ぜひ見て下さい。
http://tsaka.jp/

坂口 トモユキ「HOME」 3990円

坂口トモユキさんの写真は、本当にそこにある、あたりまえの風景やモノを、いわば、コントのセットような違和感もって提示してくる。
例えば、アメリカの映画監督が撮った日本人や日本の風景が、本当にいつまでたっても我々日本人にとっては「なんか違うんだよな。」という違和感をもって見られるという事。
カメラって、そのまんま写るんじゃないの?
誰がやっても同じなんじゃないの?
なんて、思っていたのですが、上記の例を出すまでも無く、そうでもないのだな。

私は一時期、京王線の西の西、「中河原」というところにある某新聞社で働いていた事がある。
その町は、人気の無い完全なベッドタウンで、夜は誰も居らず、
昼間はただ、大きな団地やマンションのベランダというベランダから、布団やシーツの洗濯物が、舌を出したようにべロンと干され、その風景をもってようやく、ああ「人が暮らしているんだな」とわかるような、本当に「ニセモノの街」といったところだった。
彼の作品で、そんな「中河原」で撮影されたものがある。
彼の「中河原」は、さらに輪をかけて、おかしな事になっている。
異星人が撮った写真という形容は、なかなかおもしろい。
そこがどこだかわかるのに、「本当にそこなのか?」といった、たどり着けなさを感じる、不思議な感覚だ。
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