二塁打
2009/06/01
18歳の夏、あれはたしか、ホームランバーアイスで初めて「二塁打」が出た日だった。
今までは「ヒット」しか出たことがなくて、それでもコンビニにもっていくともう一本もらえた。
一応「当たり」としてカウントされているのだな、と納得はしていたが、そのアイスの名が「ホームランバー」である以上、当たりはやはり「ホームラン」であるべきだ、と思っていた。
私は割と打率が高く、ひと夏の間に3度は「ヒット」を出していた。
夏のヒットメーカー。
あの頃の私はサザン、もしくは、チューブだった。
そんなある夏の日、私は「二塁打」を出した。てことは、ひょっとしたら、2本もらえるのだろうか。
そんな風に思って、コンビニに棒を交換しに行くと、
「1本ですけれども。」
と、そっけなくパートのおばさん店員に吐き捨てられた。
「それは仮に、ホームランでもですか?」
私は食い下がる。
「うーん、ホームランでもね。おばさん、野球わかんないから!」
わかんないか!そうね!じゃあもういいよ!
わたしはそのまま、せっかく二塁打が出たというのに、「ヒット」と同じというのが釈然としなかったというのもあり、そのまま「二塁打」をもったまま、マチのほっとステーションを後にした。
例年よりも暑い夏。
向こう側がグニャリと歪んで見えるほど熱くなった駐車場で停めていた自転車に跨り、二塁打棒を噛みながら私は思った。
「ああ、これが、ヒットであったならば。」
つまり、わかる相手でなければ、意味が無い。という事なのだ。
おばちゃんにとっては「当たり」、そうじゃなきゃ「ハズレ」、の二択なのだ。
価値が伝わるという事、それが何より重要。
コミュニケーションってそういうことだと思うのだ。
思うのだよ。
今までは「ヒット」しか出たことがなくて、それでもコンビニにもっていくともう一本もらえた。
一応「当たり」としてカウントされているのだな、と納得はしていたが、そのアイスの名が「ホームランバー」である以上、当たりはやはり「ホームラン」であるべきだ、と思っていた。
私は割と打率が高く、ひと夏の間に3度は「ヒット」を出していた。
夏のヒットメーカー。
あの頃の私はサザン、もしくは、チューブだった。
そんなある夏の日、私は「二塁打」を出した。てことは、ひょっとしたら、2本もらえるのだろうか。
そんな風に思って、コンビニに棒を交換しに行くと、
「1本ですけれども。」
と、そっけなくパートのおばさん店員に吐き捨てられた。
「それは仮に、ホームランでもですか?」
私は食い下がる。
「うーん、ホームランでもね。おばさん、野球わかんないから!」
わかんないか!そうね!じゃあもういいよ!
わたしはそのまま、せっかく二塁打が出たというのに、「ヒット」と同じというのが釈然としなかったというのもあり、そのまま「二塁打」をもったまま、マチのほっとステーションを後にした。
例年よりも暑い夏。
向こう側がグニャリと歪んで見えるほど熱くなった駐車場で停めていた自転車に跨り、二塁打棒を噛みながら私は思った。
「ああ、これが、ヒットであったならば。」
つまり、わかる相手でなければ、意味が無い。という事なのだ。
おばちゃんにとっては「当たり」、そうじゃなきゃ「ハズレ」、の二択なのだ。
価値が伝わるという事、それが何より重要。
コミュニケーションってそういうことだと思うのだ。
思うのだよ。