プロレタリア的
2009/08/08

私は元々どうだったかは知らないけど、気が付けばは完全に夜型
の体質の人間である。東京で夜勤のアルバイトをしながら生活して
いた時期がかつてあったが、その時期はほとんど太陽を見る事なく
暮らしていた。日が暮れた頃に玄関を出て、電車に乗り、仕事場で
ただひたすらに朝を待つ。数台のコンピューターとバカでかいスキ
ャナー、畳程の大きさのネガフィルムを現像するマシーン。私は深
夜にただ一人っきりでこれらの機器を操り、某新聞社の朝刊記事を
世界中の支社の印刷所に配信していた。ロサンゼルス、ロンドン、
香港、バンコク。深夜、東京の片隅からダブルクリック。
→ send to L.A
→ send to London
→ send to HongKong
→ send to Bangkok
東京は深夜2時半。各国の都市に朝が来る前に私の仕事は終わる。
一度だけロンドン行きの記事を、誤って香港に送った事があった。
香港の人からとても怒られた。ロンドンの人からも怒られた。
世界の夜明け前。私はひとり、東京で怒られていた。
朝が来る前に仕事を済ませて、日が昇る前に家に帰る。
私はいつも始発電車を待った。まだ薄暗いホームで缶コーヒーを飲
みながら待っていた。仕事場に山ほどある、刷り上がったばかりの
今日の朝刊のサンプルを読みながら待った。まだコンビニにもキオ
スクにも出回っていない最新のニュースだ。
ページをめくる度、まだ乾ききらないインクが私の指を黒く汚した。
そんなシュチュエーションとタイミングで黒く汚れた指先を見ては、
いつもなんだか『プロレタリアートな気分』になっていたものだ。
ガラガラにすいた私鉄の各駅停車には、そんなプロレタリアート
な人々が、ポツリポツリと間隔をあけて座っていた。午前様の酔っ
払いや、ハシャぎ疲れた若い連中もいる。これから市場に向かう、
早起きな行商のお婆さんが自分よりも大きな箱を背に負いながら、
夜明けに向かって流れる車窓を、ただじぃっと眺めている。
電車を降りてもホームにはほとんど誰もいない。
駅からの帰り道にあるコンビニには眠たそうなアルバイト。
肉まんでも買って、かじりながら歩く。道々に並ぶ商店のまだ閉ま
ったままのシャッターというシャッターには、美的感覚の欠落した
グラフィティーがさも意味ありげな顔で、YO!とかHO!とか言っ
ている。下らない。
家に付いて顔を洗う。ベッドに潜って枕元のラジオをつける。
「グッモーニーン!トーキョー!
グッモーニーン!トーキョー!」
私は深夜放送を聞くように朝のニュースを聞いた。
今日の占いカウントダウンの順位を確認してから私は眠りにつく。
自分の星座が1位の朝は、なんだかやりきれないものになる。
頭から毛布を被って、牧場の柵を飛び越えてゆく羊たちを数える。
私の眠りのために働く羊たち。彼らは果たして、夜勤か。