類型フェチの実験
2009/09/13

上の写真は、ベルントとヒラのベッヒャー夫妻の作品だ。
二人は1959年から、給水塔、冷却塔、溶鉱炉、車庫、鉱山の発掘塔などドイツ近代産業の名残が残る、戦前の建築物を中心に、冷徹に撮影者の主観をなくした客観的な表現方法で撮影した。
同じ撮影対象物をひたすら同じ様に撮り、並べて提示することで、それらの差異と相似から、それが作られた時代の背後にある多様な世界への想像力を喚起させる。
膨大なこれらのピースを並列にし、俯瞰する事、つまりは、被写体を等価値に吟味しますよ、という事を前提に撮影する。ここまでは準備だね。
そうしてこれら、文明の断片の集積を丁寧に分類し提示する。
一つ一つの給水塔や溶鉱炉は、別に良くて、総体としてどうなのかという評価と発見が目的であり、面白いとこだ。
つーか、そんなことよりも、下の写真を見て欲しい。

これね、douglas hueblerって人のちょっと面白い作品。
このハゲメガネが、ベッヒャ-夫妻の旦那のほう。ベルントさん。
これは何かっていうと、「ポートレートセラピー」っていうものらしいんだけど、
ベルトンさんに、以下のような表情のバリエーションを行ってもらい、
写真に記録するというものだ。
1.バーンド・ベッヒャー本人の顔
2. 素敵な人の顔
3. スパイの顔
4. 老人の顔
5. アーティストの顔
6. 警官の顔
7. 聖職者の顔
8. 哲学者の顔
9. 犯罪者の顔
10. 恋人の顔
バーンド・ベッヒャー自身も、バリエーションを分類され、整理されている。
非常に面白い。
なにやってんだかね。
そして、偶然見つけたんだけど、下の写真も面白い。

Wolfram Hahnって人の作品、「Children Watching TV」。
テレビを見てる子供の写真。
ほとんど、魂を抜かれて抜け殻になった人間の図鑑。
表現における主観とは何だろうか、メッセージとは何だろうか。
あなたらしさとは、一体なんなのだろうか。