これから。の巻
2006/08/29
食生活に黒酢を取り入れはじめた、健康志向初日のイーゴンです。
「酢は効くから」と君が言ったから、
八月二十七日は黒酢記念日
そんな俵万智なキャッチコピーで語呂も悪くはじまりました、
酢ドランカー・イーゴン、デビュー戦です。
伊藤園のパックのやつを勢いよくストローでチュー!
死ぬ程むせました。
さて、最近私の仲間たちが一斉にブログやミクシーをやり始めましてね。そんな状況が非常に興味深いです。個人的には、ブログやミクシーは既に毎日の生活の一部になっちゃってる私にとっては、そういう新しい雰囲気が何だか新鮮でもあり、もう一回友達ができたような嬉しさがあります。
いままでは『僕のメディア』といった感じ方をしていたブログというメディアも、なんだかこう、プライヴェートでも仲の良い連中もやりはじめて横に並んでる雰囲気を感じると『僕のメディア』の他に『僕らのネットワーク』のようなものがはじまる予感みたいなものがあって、非常にウキウキウォッチンでございます。
あと最近面白いなぁ、と思ったのが『ユーチューブ』ね。
っていうのは、もう世の中、テレビも雑誌も機能してないし、流行も廃りも個人プレーだから共通言語みたいなものって持ち得ないんだろうなんて思ってたけど、出たね、『ユーチューブ』!改めてこれはやっぱすごい。文化を産むぞこれ。
「ユーチューブで見た。」とか
「ユーチューブに上がってたよ。」とか、
そういう会話が結構一般化してきたしね。
個人的にはこのユーチューブ、「探す」ってのが面白い。
私は地方の田舎町で思春期を過ごしました。
情報的ゲットーでした。
若者文化のようなものは表面的にはほとんど無い環境でした。なので、刺激的なものには敏感で、ゴミ箱を漁ってでもカルチャーの切れ端を血眼でかき集める毎日でした。
しかし世の中、ある時期から二次生産的な情報が、世の中に増えてきました。つまり、パクリのパクリの噂話のパクリのコピーをまたパクったものの噂話みたいなものが雑誌の紙面を埋め、商品を売るための映像が流れるだけのTV番組がふえましたよね。
点々と落ちてるカルピスの原液を、見つけては舐め、見つけては舐めしていた私にとって、そんな状況は自販機のうすーいカルピスウォーターみたいなもんであり、種類は多いくせに、どれもなんの味もしないつまんないコンビニの茶みたいなもんですよ。
で、『ユーチューブ』ですよ!
あれも言ってみりゃ二次流通の権化であり、イリーガルな悪しきシロモノでしょう。しかしながら、性器と死体が映ってなきゃオッケー!みたいなアバウトなルールの中でユーザーは爆発的に増え、幾重にも深みを持った動画の地層がわれわれの生活になだれ込んで来ているわけですよ。
「タカアンドトシ」で掘り始めても「ポーランド人のSMプレイ」なんてヤバいものに辿り着く。そんなダイナミズムとハプニングの嵐。
個人が選べる情報なんてものは、たかが知れてる。選択肢の幅なんて普通そんなに持ってないですよ。情報は出会い続けることに価値があり、その蓄積で個人の中の価値観が芽生えるものです。そこでやっと『選ぶ』という事が出来るようになるんじゃないかと思うんですよね。
とにかく『ユーチューブ』に飛び込んで、みた事無いものを観てみようじゃありませんかみなさん。なんならアップロードしようじゃありませんか。
もしも未来にテレビや映画があるのなら、この「ユーチューブ」を観て育った世代がどんなコンテンツを作るんだろうか?きっと今よりもずっと面白いような気がする。
「酢は効くから」と君が言ったから、
八月二十七日は黒酢記念日
そんな俵万智なキャッチコピーで語呂も悪くはじまりました、
酢ドランカー・イーゴン、デビュー戦です。
伊藤園のパックのやつを勢いよくストローでチュー!
死ぬ程むせました。
さて、最近私の仲間たちが一斉にブログやミクシーをやり始めましてね。そんな状況が非常に興味深いです。個人的には、ブログやミクシーは既に毎日の生活の一部になっちゃってる私にとっては、そういう新しい雰囲気が何だか新鮮でもあり、もう一回友達ができたような嬉しさがあります。
いままでは『僕のメディア』といった感じ方をしていたブログというメディアも、なんだかこう、プライヴェートでも仲の良い連中もやりはじめて横に並んでる雰囲気を感じると『僕のメディア』の他に『僕らのネットワーク』のようなものがはじまる予感みたいなものがあって、非常にウキウキウォッチンでございます。
あと最近面白いなぁ、と思ったのが『ユーチューブ』ね。
っていうのは、もう世の中、テレビも雑誌も機能してないし、流行も廃りも個人プレーだから共通言語みたいなものって持ち得ないんだろうなんて思ってたけど、出たね、『ユーチューブ』!改めてこれはやっぱすごい。文化を産むぞこれ。
「ユーチューブで見た。」とか
「ユーチューブに上がってたよ。」とか、
そういう会話が結構一般化してきたしね。
個人的にはこのユーチューブ、「探す」ってのが面白い。
私は地方の田舎町で思春期を過ごしました。
情報的ゲットーでした。
若者文化のようなものは表面的にはほとんど無い環境でした。なので、刺激的なものには敏感で、ゴミ箱を漁ってでもカルチャーの切れ端を血眼でかき集める毎日でした。
しかし世の中、ある時期から二次生産的な情報が、世の中に増えてきました。つまり、パクリのパクリの噂話のパクリのコピーをまたパクったものの噂話みたいなものが雑誌の紙面を埋め、商品を売るための映像が流れるだけのTV番組がふえましたよね。
点々と落ちてるカルピスの原液を、見つけては舐め、見つけては舐めしていた私にとって、そんな状況は自販機のうすーいカルピスウォーターみたいなもんであり、種類は多いくせに、どれもなんの味もしないつまんないコンビニの茶みたいなもんですよ。
で、『ユーチューブ』ですよ!
あれも言ってみりゃ二次流通の権化であり、イリーガルな悪しきシロモノでしょう。しかしながら、性器と死体が映ってなきゃオッケー!みたいなアバウトなルールの中でユーザーは爆発的に増え、幾重にも深みを持った動画の地層がわれわれの生活になだれ込んで来ているわけですよ。
「タカアンドトシ」で掘り始めても「ポーランド人のSMプレイ」なんてヤバいものに辿り着く。そんなダイナミズムとハプニングの嵐。
個人が選べる情報なんてものは、たかが知れてる。選択肢の幅なんて普通そんなに持ってないですよ。情報は出会い続けることに価値があり、その蓄積で個人の中の価値観が芽生えるものです。そこでやっと『選ぶ』という事が出来るようになるんじゃないかと思うんですよね。
とにかく『ユーチューブ』に飛び込んで、みた事無いものを観てみようじゃありませんかみなさん。なんならアップロードしようじゃありませんか。
もしも未来にテレビや映画があるのなら、この「ユーチューブ」を観て育った世代がどんなコンテンツを作るんだろうか?きっと今よりもずっと面白いような気がする。