イーゴン自治区

ハマーを止めないで

2010/04/28


近頃、友人知人に映画をレコメンドされる機会が多い。直接「あれいいよ。」と言われることもあれば、電話やメールでというケースもある。あとは、ツイッターやブログで見ず知らずの人がレコメンドしているのを観たりして、「ああ、みんな映画をみてるんだなぁ、薦めてるなぁ。」と勝手に感じているのであります。

お友達のモニーちゃんは「勝手にシリーズ」と題して、自分が観た映画をお前も観て感想を聞かせろと、一方的にメールを送ってくる。彼女なりに何人か選抜して、この「勝手にシリーズ」を送っているらしい。そう、私は選ばれたのだ。

ブログやツイッターで、自分が気まぐれに観た映画の事を観賞後の余韻にまかせてレコメンドするのとは勝手が違う。

「私は結構よかったと思うんだけど、あなたはどう?」
このような文法なのである。

「面白いから、絶対見ろ!」
というのとはちょっと違う。


私は、映画や本や音楽はとかそういうものって、鑑賞し終わった後からがメインなのだと思っている。その場で完結させてしまうような「暇つぶし体験」ではないのである。

美術館で絵を見る。
新しい音楽を聴く。
小説を読みふける。
映画を鑑賞する。

さあ、そこからである。これらの「あたらしい体験」というのは、いわば、自分にとってのプラグインというかバージョンアップのタイミングなのである。
何か新しいものを鑑賞する事自体はあまり意味は無く、その後の自分自身がどうなっているかという事が大切であり、面白いとこなんだと思うのであります。

例えばメルヴィルの「白鯨」自体に意味は無く、それをインストールした後の自分の変化にこそ意味があり、「タクシードライバー」自体には意味は無く、それをインストールした後の、自分のモヒカン頭にこそ意味があるのである。

18歳の頃に「トレインスポッティング」をインストールした後、真冬の新潟の凍結した路面を馬鹿な友達と全力疾走して、派手に転倒したことに意味があり、また、「座頭市」をインストールした後に、サイゼリアの店内で、割り箸を「仕込み杖」に見立てて、白目を剥いて「シャドウボクシング」ならぬ「シャドウ居合い抜き」に興じて店員に咎められた事にこそ意味ある。


さて、私はモニーちゃんの「勝手にシリーズ」に選ばれた。
選ばれしものの運命は、誇り高く厳しい。
これはあれだね、見終わった後の感想を求められてて緊張感があっていいね。観ますよ。


あと、正しいかもしれないけど、手厳しい批評ってなにか新しい出会いを潰すよね。あれどうかと思う。
最近ライムスター宇多丸師匠のシネマハスラーを愛聴しててとってもおもしろいんだけど、人によってはあれだけ理詰めで駄目なとこを言われちゃうと、結構引っ張られるだろうなって思う。

例えばね、田舎の多感な中学生が偶然ラジオとかでヒップホップとかいう音楽を聞いて「こういうの格好いいかもな」って思って、自転車こいで品揃えの薄い地元のツタヤとかに行くわけですよ。で、なんだろう、なんかああいうのないかな、って探すわけですよ。で、結局借りたのが、「バニラアイス」と「MCハマー」と「mcAT」っていうチョイスだったりする。

それでいいんです。踊りながらハマーを聴くんですよ。
そこに理詰めで「こんなの駄目だからやめろ。」
とは言っちゃいかんのですよ。

小さな出会いは大きな明日の道しるべです。
大切に育んでゆきたいものですね。

セーブ・ジ・アース。

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