イーゴン自治区

USTとおひねりとコミュニケーション発動装置

2012/02/14
この間、4夜連続でユーストリーム配信をやってみました。
見ていただいた方々、どうもありがとうございました。

初めてやってみたので、初夜はなかなかコツがつかめず緊張しましたが、
こういうやつは、慣れですね。2夜目からはリラックスしてできました。

さて、目的や動機のない自発的な行為というやつは、
他人様から見たら、なにやら薄気味の悪いことのように思われるでしょう。

「無償の愛」というものほど薄ら怖いものはありません。

それに比べて、営利目的で行われる行為はわかりやすい。
利益獲得のための行為には、ルールがあるからです。
こちらはサービスを提供し、
お客はそのサービスをお金で消費したり評価したりする。
という、フェアで健全なルール。

「自己表現」というやつも、ひょっとしたら気味の悪いものかも知れませんね。
観客や聴衆にとっては、その表現に対して、
いったいどのように接すればよいか、わからないという場合もありますね。

この間、喫茶店のテラス席でお茶を飲んでいると、
目の前の広めの歩道で、若い男がBMXみたいな自転車を、
延々と曲芸のようにぐるぐると乗り回していたのですが、
周りの通行人は、遠巻きに彼の邪魔にならないように、
距離をとって眺めるしかありませんでした。
地べたに仰向けにした帽子でも置いてあれば、
ポッケであそんでる小銭でも放ってあげることも出来たのですがね。

随分昔に、下北沢で友人としこたま飲んで、
酔っ払って北口の階段のところに座り込んで、
気分よく鼻歌を歌っていたんですが、
たまたま私の足元に誰かのバイクの半キャップのヘルメットが、
仰向けの状態で転がっていて、私の前を通過する人が、
そのメットに小銭を入れて行ったことがありました。

私の鼻歌、50円。

ドネーション。
おひねりってやつです。


表現行為を行う際に最も気をつけなければいけないのは、
「コミュニケーションの断絶」というものです。
先鋭的な表現や考えをプレゼンテーションする時、
その表現の純度や精度を高めようとするあまり、
結局、独りよがりなものになってしまうことが往々にしてあります。
または、観客や聴衆がリアクションしたり、
評価する隙すら与えてくれないケースもありますね。

昼間の明治神宮前。
半裸で白塗りの男女が、般若心経にあわせて騒ぐこと1時間。

どうしろというのだ。

コミュニケーションの断絶、対話の断絶、
リアクションや、評価の拒絶。
すなわち、これ、疎遠のはじまりなり。


アートでもいい、ビジネスでもいい。
手相占いでもセックスでも、
ディベートでも土下座ナンパでもいい。

コミュニケーションが生まれるものであれば、
それはきっと清清しく、価値のあるものだと思います。

最低限、ひっくりかえした帽子を足元に置くことが、
きっとコミュニケーションの種となりましょうぞ。


寄付やドネーションの機能は、
コミュニケーションを発動するミニマムな装置なんじゃないか、
と、思います。

話は戻りますが、
私が4夜連続でやってみたユーストリーム配信は、
銭を稼ぐことが目的ではなかったし、かといって、
なにか伝えたいことや主張したいことがあるわけでもありませんでした。

ただ、「私はここにいますよ。」という、
とても単純な自己顕示だったようにおもいます。

私の行動の理由が「ここにいます。」であって、
その結果、見に来てくれた人が全部で300人もいた、
ということは、いったいどういうことなんでしょうね?

見に来てくれた何人かの人とは、
配信中にチャットを通じてコミュニケーションがとれました。
とても面白かったです。またやります。

今年は、なんていうか、そういう年にしたいな、
と思いました。

おわり。

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