ゲバラは気にしないという丁度いい飛ばし具合

2012/03/11
部屋の掃除をしていたら、結構前に買ったDVDが出てきた。
サケロックのツアードキュメンタリーのDVD、
「ぐうぜんのきろく3」だ。




大好きな星野源先生のバンド、サケロック。大好きなデザイナー、大原大次郎先生のアートワーク相変わらず素敵である。

少しばかりの懐かしみを感じて、もう一回ダラダラと見始めた。すると、以前に観た時には気にも留めなかった箇所で、非常に感慨深いシーンがあった。

このDVDは、サケロックが全国13カ所を巡るツアーの様子を収録した、ロードムービーのようなドキュメンタリーであるが、彼らを運ぶバンドワゴンは、彼らの所属するレーベルである「カクバリズム」の代表、角張渉氏がハンドルを握っていた。

DVDの中盤あたり、あるライブ会場の駐車場での車庫入れで、角張氏はハイエース(レンタカー)をぶつけてしまう。サケロックのメンバーは、「いつもの事だ。」「ツアーらしくなってきたな。」と、笑いとばすが、ぶつけた本人は苦い顔で、結構へこんでいるご様子だった。その時に発した角張氏の言葉が非常に印象に残った。
DVDのカウンターでいうと、キャプチャー26、1時間24分頃の名言だ。

「ゲバラはこんなの気にしねぇな。」




なかなかいいサイズの「飛ばし感」である。
「飛ばし感」というのは、私が勝手に言っているメンタルケア用語だ。

人は、日常生活においても苦境に立たされる事がよくある。
小さな事から中くらいの事までが、その「日常の苦境」の対象となる。大きな苦境は日常の範疇を超えて、非日常の管轄なので、ここには含まない。

小さな苦境は、例えばこの程度。
カップ焼きそばのお湯を流し台に捨てようとしたら、焼きそばの麺まで行っちゃうという苦境。
タバコに火をつけようとしたら、ライターの火が大きすぎて片方の眉毛が燃えてしまうという苦境。

中くらいの苦境は、例えばこのくらい。
携帯電話を便器に落としてしまうという苦境。
タクシーの中でゲロを吐いてしまう苦境。
家族にオナニーを見られてしまうという苦境。

このような規模の苦境に立たされた時、「飛ばし」を行う事で己のメンタルを落ち着かせるのである。

「地球が生まれてから46億年。俺なんて無いに等しい。」
「人間の体は細胞レベルでは約5~7年でほとんど入れ替わるし。」

例えばこんな具合に、今ここにある苦境が霞んで見えなくなるほど大きな問題を隣に並べ、意識を飛ばすのである。そんな「飛ばし」の文句として、非常に丁度いいのがコレ。


「ゲバラはこんなの気にしねぇな。」

地球とか細胞とかだと「ちょっとでかすぎてあんまし良くねぇな」と、常々思っていたので、このサイズは丁度いい。

「車ぶつけた」→ゲバラは気にしない。
「携帯無くした」→ゲバラは気にしない。
「先生をお母さんと呼んでしまった」→ゲバラは気にしない。
「神社のお賽銭箱に財布ごと落とす」→ゲバラは気にしない。
「会議中に咳したら同時に屁が出た」→ゲバラは気にしない。

「家が燃えている」

これはさすがにゲバラも慌てるはずだ。



ゲバラも慌てるし、カストロも慌てる。

ともあれ、日常の苦境を乗り越えながら私たちは生きている。
でも、だいたいの事を、ゲバラは気にしない。

ゲバラの事は、あんまりよく知らないけど。

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