イーゴン自治区

川勝正幸|ポップ中毒者の中毒者は今夜も行き止まり

2012/03/13
今年、2012年1月の末に急に亡くなった川勝正幸の事を、今日ふと、「あ、いねぇのか」と思った。

私は川勝正幸の知り合いでも何でもない、ただのファンなのだけれども、もうあの人は居ないんだなぁ、としみじみ思った。


私はインターネットが好きである。一週間ずーっとブラウザの前に居てもいいくらいだ。膨大な情報を次から次へと飛び移るように、検索したりリンクを辿ったりしながらどんどん森の奥に分け入って行く。
旅のきっかけは何でもいい。足のかかとの核質が岩みたいにガチガチになってるのが気になったから、「かかと 岩」でググる。すると、「天狗のかかと岩」というのが愛知県にある事がわかる。
そこからどんどんと興味の赴くままに進んで行くと、やがてフリーメイソン的な陰謀の闇に落ちる。なぜかわかんないけど、いっつも最後はフリーメイソン的なところに辿り着いてしまう。これもやつらの陰謀なのか。

旅の終着点はどうあれ、過程にこそ財産はある。

結びつかないと思われた情報同士がどんどん結ばれてゆき、互いに新しさを獲得してゆく。その発見を積み重ねながら旅は進む。


1996年。
ピチカート・ファイヴが「ロマンティーク96」というアルバムを出し、コーネリアスが「69/96」というアルバムを出し、坂本龍一も「1996」というアルバムを出した。
これらのCDを毎日のように聞いていた私は18歳だった。新潟県の高校生だった。

1996、この数字を私はよく覚えている。

その年、私は1冊の、やや厚めの青い本に出会った。
『ポップ中毒者の手記 約10年分』という本だった。





ページをめくると、本文は全て太いゴシック体のフォントで、なにやらぎっしりと重い印象を受けた。
川勝正幸という人が書いた本だった。
ブックデザインは松本弦人という人だった。

面白かった。影響を受けた。この本の中で紹介されている人や映画や本や音楽を、とにかく漁った。知らない街に来て、初めてその街のガイドブックを手に入れたような気がした。
退屈そうに見えたこの街にも面白そうな所がこんなにある!あっちにも、こっちにも、むこうも面白そうだ、いやや以外とこの辺りも面白いな。という具合に風景が変わってしまった。
ポップカルチャーの名の下に、古今東西のカルチャーが混じり合い、それらに対する著者の異常な愛情が、その青くてやや厚い、全ゴシック体のページから湯気を出していた。

その日から私の生活は急激に忙しくなり、時間と小遣いが全く足りなくなった。
私も川勝正幸が言い出した、その「渋谷系」の中に行こうと思った。

松本弦人の出身校が桑沢デザイン研究所という学校だった。
川勝正幸がフックアップしたスチャダラパーも同じ学校だ。
その学校は東京の渋谷にあった。
渋谷に行けば「渋谷系」があるとおもった。

私は、その学校に進学することにした。

渋谷はきっとあの本のようなカルチャーが溢れている街に違いない。そう信じてた。しかし実際はどうだ、センター街の看板は落ち、ヤマンバとカラーギャングがしゃがんでた。小さなクラブからどんどん潰れ、代わりにカフェブームがはじまっていた。


東京は夜の七時。渋谷に、渋谷系は無かった。

私が憧れた渋谷は、東京は、都会は、結局のところ、実家の本棚の、あの青くてやや厚い本の中にあった。今もそのまま、私の「渋谷」はあの本の中だ。


私はインターネットが好きである。
あっちに行ったり、こっちに行ったりしている。
古いものが新しくなり、結びつかなそうなものが繋がって行く。
深い森に迷い込んで、いつものように陰謀論に辿り着く。
今夜も行き止まりだ。

こんな時、ブラウザから目を離してふと思う。
またあの時みたいなガイドブックがあればなぁ。
川勝正幸は、今どの辺で何をみつけたかなぁ。
きっと、私には検討もつかないものに血眼になっているんだろうなぁ、と。

グーグルで「川勝正幸」と検索してみる。
膨大な数の、訃報と悲しみとさよならとありがとうが溢れている。


ポップ中毒者はどこかに行ってしまった。
あなたの中毒者達をおいてきぼりにして。


R.I.P

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