イーゴン自治区

無目的でポジティヴな日記(酔)

2012/05/27
5月の後半になると、ほとんど初夏のような暖かさだ。昼間は少し暑いが、夜になると本当に過ごしやすい。
ああ、1年中が毎日5月の後半だったらいいのに、と、誰もいない部屋の虚空についついツイートしてしまうほど、私はこの季節が好きだ。

今、臭いチーズと臭いアンチョビを少しずつかじりながら、コップで安ワインを飲みつつ、これを書いている。少し酔っているのだ。こういうのを聞きながらだ。



東京では、徒歩と電車で移動してたから、出先で気ままに一杯呑む事もできたけど、今は基本的には自動車で移動する事がほとんどなので、あの感じでお酒を飲む事もなかなか叶わなくなってしまった。
なので、こうして自宅で呑む事が増えた。

東京の素晴らしいところは、あの気ままさだったんだなと思う。小銭入れを尻のポッケに突っ込んで、無計画に手ぶらで出かけても、結構楽しかった。何人かに電話すれば誰かがつかまったし、つい酔っ払ってしまっても、なぜかちゃんと家には帰れたものだ。

自由さ、不自由さ、ということではなくて、「気ままさ」という点であの街は素晴らしいな、と思う。出稼ぎ労働者がひしめく雑居感というか、江戸っぽさといった気風が、とても良かったんだなと思う。

地方都市にそういう「気ままさ」が全くないかというと、そんなこともないと思うが、なんとなく「付き合い」という要素が結構多いんじゃないかと思う。いや、別にそれをディスってるわけじゃないし、個人的にはそういう、なんか、親戚が集まるの大所帯の宴会みたいなやつは結構好きだし、同じ顔ぶれのまま、みんなで歳をとる。それはそれで素敵な関係だと思う。

つまり、個人が帰属する軸足の数が少ないと、その帰属するコミュニティへの依存度や気圧のようなものが高まってしまうから、気ままさが失われてしまうのではないか、なんて、どうでもいいことを考えたりする。

私は特にそういった事で嫌な思いをしたことは無いが、地元で暮らし続ける若人が「閉塞感がなんとかなんとか。。」とか言って悩んでいるのを聞くと、なるほど、そういうもんかもね、と、一応は同調してみたりもするけど、正直な所、あまり実感はない。例えば、固定化された面子のなかで「商売」をしようとすると、言ってみれば、必ず誰かがステークホルダーになる可能性が高いので、なかなか面倒なことは多い。そういった点では、その窮屈な気分はわかる。餌の取り合いや顔の立て合いといった事情だね。

まぁ、そんなつまらんことはどうでもよくて、要は、人生の愉しみというものに貪欲であることが重要なんだろうね。
楽しいことや嬉しいことで、人生を埋めてゆくのがいいね。

酔っぱらいが無目的に文章を書くと、こうなるね。おわり。

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