ハチ公再考
2008/08/04

先日、渋谷のハチ公の前で、人と待ち合わせをした。
今まで私は色んなところで待ち合わせをしてきたが、
「ハチ公の前」で待ち合わせをした事がなかったので、
ある種の童貞を、またひとつ捨てる事ができたのではあるのだが。
「ハチ公」の周りにはおびただしい人が待っており、
逆に、ハチ公はどこだ!という気さえした。
まあ、「ハチ公」が「あの辺り」って事が伝われば、
ハチ公が不在だったとしても、十分に待ち合わせ場所として通じる。
例えば「地獄池」という地名があるとして、
現在そこには池などなく、「ファミリーマート地獄池店」がある。
という状態だったとしよう。
こういう風に、昔は実体があったが今では地名だけが残っている。
というのは、納得のいく由来のいきさつだ。
もしも、60年後くらいの渋谷が何らかの理由で様変わりしたとしても、
「ハチ公前」という地名は、正式な住所として残るだろうな、とおもった。
例えその時代の人がそこで待とうが待つまいが、犬の像があろうが無かろうが。
それにしてもハチ公って、主人の帰りを待ち、かなり待ちぼうけまくっている。
その周りで交わされる
「ごめん待った?」
「いや全然待ってないよ。」
という会話。
相当ムカついてるだろうね。
その上、今じゃケータイがあるから、別に律儀にじっと待つ必要さえない。
もう、なんか、代表して謝りたい。
すんません、ハチ公さん。
今度、骨っ子持っていきます。