「ゼア・ウィル・ビー・ブラッド」のダニエル・デイ=ルイスが演じた、怪獣みたいな野心と執着

2012/10/23
「ゼア・ウィル・ビー・ブラッド」のダニエル・デイ=ルイスが演じた、怪獣みたいな連中の野心と執着は一体どこから来るのだろうか?と、ここ3年くらい考えていた。 
 怪獣の気持ちを知るためには、やはり、かいじゅうたちのいるところに忍び込んで、かれらの事を観察するしかあるまい。そいいうわけで、わたしの身近な怪獣たちを見て、ようやく最近わかった事がある。
彼らが持っているのは、なんて言うか、熱くてドロドロとした「情熱」のような物だ。それは、使命感や義務感や社会貢献というような「世のため人のため」という熱き想いというわけでは無い。かといって「私腹を肥やす」という事でもないようだ。
「世のため人のため」や「私腹を肥やす」というのは、あくまでも結果であって、彼らのアクションの動機ではないようだ。

アクションの副産物として「世のため人のため」にもなるし「私腹も肥える」のである。ただ、それはあくまでも副産物であり、最終的な目的ではない。というか、きっと最終的な目的という物自体が、無い。
彼らは、アクションを起こしまくる事自体が目的であるようだ。

アクション!アクション!アクション!の連続だ。
アクションを起こし続ける、命を燃やし続ける。

そのために必要となってくるのが、燃料としての金と歯車としての人間たちだ。人間は金で買える。金は人間で買える。そういうものだろう。しかし、彼らにとって何よりも必要なのが、アクションのための「動機」であり「コンセプト」であり「言葉」なのである。

つまり、アクションを起こすことが大前提であり、それを正統化させるための「大義名分」が必要なのである。「大義名分」さえあれば、何をやってもいいのがこの世の中だ。そう、何をやってもいいのだ。

損得や善悪をもねじ曲げられるコンセプトがあれば、なんだってやっていい。

たとえば政治家とか芸術家とかになる人は、こういうメンタリティに間違いなかろう。

戦争や災害や、例えば怪獣が暴れた後には、仕事が生まれる。
経済的には特需という状況になるわけだ。

世の中にはそういう人間が一定量存在するし、必要なんだとも思う。

ただ、その「情熱」というものの正体は、まだわからない。

そんな風に思った、今日でした。

きのこの山食べて、ねる。







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